『シルヴァリス様』

 教えてもらった名前を呼んでから、理子の中で魔王の存在は日に日に大きくなる。

(どうしよう。どうしよう、私このままじゃ……)

 魔王とは住む世界も種族も身分も違うのに。魔王の事を思うと、苦しくて、切なくて、甘い。
 この感情の名前は、分かっているのに認められないでいた。

 職場から帰宅した理子は、テーブルの上に置いたタブレットと卓上カレンダーを交互に見ながら、うーんと唸ってしまった。

「お盆休み、どうしようかな」

 今年は遊びに行く相手も予定も無かったため、すっかり忘れていたが会社はもうすぐお盆休みに入る。
 有名宿泊サイトでホテルを検索してみても、やはりお盆期間中は満室か宿泊料金が高過ぎて予約は出来なかった。
 新幹線指定席の切符も今からでは取れないだろうし、遠出は無理だと諦めた。

「近場も一緒に出掛ける人もいないしなぁ」

 去年一緒に出掛けた香織は、まーくんと婚前旅行へ出掛けると言っていたし、学生時代の友達は既に予定があり断られてしまった。
 こんなことなら、山本さんに誘われた社会人フットサルサークルのバーベキューに参加しても良かったかもしれない。
 今年、実家に帰ってのんびりして両親と親戚宅へ出掛けるか。


「ーということで、連休は実家に帰ってのんびりする事にしました。実家へ帰っている間は、此方へ喚ばないでください」

 召喚されて「こんばんは」を言う前にお盆休みの予定を伝えれば、椅子に座る魔王ことシルヴァリスは理子を睨む。

「駄目だ」
「シルヴァリス様に会いたくないわけではなくて、実家に帰れば親と姉が居るの。毎夜毎夜喚ばれると夜遊びしてると心配されちゃうんです。一応、親からしたら嫁入り前の娘なので」

 魔王の寵姫と思われていても、恋人や夫婦ではないのに夜遊びも実家に帰るのにもシルヴァリスの許可を取らなければいけないのか。そう思いつつ見上げれば、シルヴァリスはフンッと鼻を鳴らす。

「実家とやらには帰らず、休日は此処に滞在すればよい」
「此処に? この世界に?」

 思いもよらなかった提案に、理子はぱちくりと目を瞬かせた。

「異世界の観光……」

 夢見がちな十代の頃は、剣と魔法が織り成すファンタジーな世界を巡り、神秘的な場所を観光してみたいと夢見たこともあった。
 モンスター退治やら危ないことに遭遇しなければ、刺激的でとても高揚するお盆休みになる。

「私が居たらお仕事の迷惑じゃない?」
「迷惑ならば誘わん。仕事はキルビスにでも振ればよい」

 さらりと、部下に仕事押し付ける宣言をしてシルヴァリスは笑う。
 腹黒で口の悪い宰相殿が怒り狂う姿が容易に想像出来て、理子はひきつった笑いを返した。

「お城の外へ出て、人の住む街も観光していいのなら、よろしくお願いします」
「ああ、直ぐに部屋を用意させよう」

 クッと口の端を吊り上げたシルヴァリスに、嫌な予感がして理子は彼の目前に人差し指を突き付けた。

「あのね、シルヴァリス様? お願いだから大袈裟にしないでくださいね。私は部屋には拘らないし、狭くても寝られればいいから、あとお盆休み最終日には元の世界へ帰らせてね」
「フッ、考慮しよう」

 何かを企んでいそうな麗しき魔王シルヴァリスは、必死に大袈裟にしないでと伝える理子を眺めながら、愉しそうに頷いた。