仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない
第一章 離縁願います


 パタンと閉じた大知の部屋を見つめ、杏は小さくため息を吐いていた。メールを送った後気持ちが落ち着かず、うろうろしていたところにちょうど大知が帰宅した。
 
 なんとか言えたという安堵感と、これで終わるんだという喪失感で、複雑な気持ちだった。

 だが杏はぐっと胸の前で拳を作り、しっかりしろと、自分を鼓舞した。

 こんなにもあっさり受け入れられるとは、思いもしなかったけれど、これで大知に迷惑をかけずに済む。何度も考え悩んで、こうすると決めたのは自分。今さらじたばたしてもしょうがない。

「泣かずに言えたじゃない。えらいぞ、杏」

 一人ごちると、自室へと入り、ベッドに飛びこんだ。隣には大知の部屋がある。今頃大知は何を考えているのだろう。大知にもらった指輪を眺めながら、そんなことを思う。

 彼の部屋に入ることは、この期間で一度もなかった。つまり、夫婦なのに、そういう関係が一度もないのだ。

 キスだって、結婚式のときに一度しただけ。きっと大知にとって、杏は妹のような存在なのだろう。正直女性っぽいとは言いがたい、華奢な体形も要因かもしれない。

 期待していなかったかと言えば嘘になる。あの大きな腕に抱かれたい。そう願った夜は数えきれない。結局この一年間、一度も叶うことはなかったが。

 それでも杏は、彼の気配や香りを感じられるだけで嬉しかった。なにせ、ずっと憧れていた人と同じ屋根の下で暮らせたのだから。

「短い間でしたが、幸せでした」

 そう口にする唇は少し震えている。

 嫌いになったから別れるのではない。好きだからそうするのだ。



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