ぼくらは薔薇を愛でる

散策

 皮膚科を出て宿へ戻る道すがら、パン店やジュースバーに寄って色々と買い込んだ。部屋は従者らによって整えられており、部屋に備え付けのテーブルを皆で囲んで、買ってきたサンドイッチを食べた。その時、オーキッドからこれからの予定といくつかの注意の話があった。
 明日から買い付けの工房へ足を運ぶから昼間はクラレットが一人になること、なるべく宿に居て、もし買い出しなどで外出をするなら日の高いうちだけにすること、外出する際は宿に声を掛けてからにすること。そんな話をして、その後は部屋で過ごしスプリンググリーンでの一日目は終えた。

 翌日から、父の言いつけ通り宿で大人しく過ごしていた。宿にある庭園は散策するのにちょうど良いし、館内には小さいがサロンがあって、わずかだが図書庫もある。日が傾けば父親が帰ってくるまでここの書庫で過ごせたし、部屋でクマのぬいぐるみ作りなどをして過ごしていたが、やがてその材料である生地が足りなくなった。

「お父様、明日、街へ出てもいいですか?」
 夕食の際、話を切り出した。

「お、どうした、欲しいものがあるのか?」
「生地を買い足したいの。それから、街も見てみたいんです」
 そうして街へ買い出しへ行く事の許しを得た。

 クラレットは、ウィスタリアではあまり街を出歩いたことがなかった。痣がある事を知っている者はそう居ないが、何となく居心地が悪い気がして好きになれなかった。不躾に他人をじろじろと見る様は幼いながらも嫌いだった。だからあまり街へ出たいと思ったことも無かったが、数日この宿で過ごしていて、窓から見える街の様子に興味をそそられた。本の束が乗った代車を押す少年がいれば、威勢よく通りを行く人々に売り込みをする店主が何人もいる。様々な色をした花が店先に並んでいたり、ここへ来た初日はあちらこちらの店から良い匂いが漂っていた。それらの店の前を行き交う人々は皆笑顔で、その楽しげな様子を身近に感じてみたかった。それに、もう皮膚科受診をしなくていい。気持ちが楽なのも手伝った。

 昼を済ませてパープルと宿を出た。皮膚科へ行った日もここを歩いたはずだが、あの時は緊張で大して街を見ることもなかったから気がつかなかったが、石畳の通りは賑やかで、馬車や人が行き交い、売り込みの声、馬の蹄の音、何かを運ぶ台車の音、話し声、とても賑やかだった。

「皮膚科はたしか、あっち。それで今日行きたいのは仕立て屋さんで、こっち」
 初日に父と歩いた通りを指差して、だけどそれとは反対方向を指差した。あらかじめ宿の人から目当ての店の場所を教えてもらっていて、書きつけた紙を見ながら歩けばすんなりとたどり着けた。

 入り口のガラス窓の中に飾られたワンピースに目が留まる。
「わあ、かわいい」
「お嬢様が好きそうなワンピースでございますね」
 パープルの言う通り、クラレットの好みど真ん中だ。クリーム色の生地に、小さな花の刺繍が全体にちりばめられ、ウエストは薄いグリーンのリボンを背中で結ぶ。パフスリーブの半袖と襟ぐりには白い生地で切替があって、茶色のエナメルの靴がよく似合う。

「生地を買う時、試着させていただきますか? 旦那様からは気に入った服があれば買い足すようにとお許しをいただいておりますよ」
 ニコッとパープルが言った。

*  *  *

「いらっしゃいませ〜」
 ベルの付いた扉を開ければ、店主と思われる女性がにこやかに迎えてくれた。

「あの、ぬいぐるみを作るのにハギレが欲しいのですけど」
「ああ、ありますよ、こっち。けど、巾のある生地が10センチとかそういう大きさだけど使えるかしら」
 そう言って見せられた棚には、様々なサイズの布が折り畳まれて麻紐でゆるく結び幾重にも積んであった。

「このくらいのぬいぐるみなので充分です!」
 手でクマのサイズを再現させながら、棚の中から気に入った生地を選ぶ。サイズが足りなければ他の生地と縫い合わせて作ればいい。色を合わせれば可愛く仕上がる。クラレットはワクワクした。無地の生地と、格子柄、水玉模様の生地をいくつか選んで、手が止まった。

「あ、これ、あのワンピースと同じ生地?」
「そうでございます、あの展示してあるワンピースを仕立てて、そのハギレであの柄の生地はお終いなんですよ」
 クラレットはパープルと顔を見合わせた。うん、とふたりは頷き、女店主に聞いた。

「あのワンピース、試着してみてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。今お持ちしますね。お嬢様の背丈にピッタリじゃないですかね〜、かわいい生地でしょう、その刺繍は手刺繍なんですが、生地工房の後継者が居なくてねえ。廃業しちゃった工房の布なんですよ。もうこのワンピースが最後です」
 女店主はワンピースをトルソーから丁寧に脱ぎ取って、試着室へクラレットを案内した。

「すこーしウエストが緩いですね、けどこうして……ほら、リボンで結べば緩いのは目立ちません、大丈夫そうね。着丈も……ん、膝丈でちょうどいいでしょう。どうですか? お付きの方も見てくださいまし」
「よくお似合いです」
 パープルは目を細めて頷いた。

「肩周りはどうですか? 動かしにくいとかございませんか?」
「うん、大丈夫そう。肩がすごく楽よ」
 そう言って腕をぐるぐる振り回すクラレット。

「ラグラン袖といって、斜めに縫い合わせてあるから楽なはずですよ。ああ、そうだ。先ほどのハギレでお揃いの髪飾りを仕立てても可愛らしいですね!」

 女店主の商売がうまいのか、クラレットはワンピースを買うことに決めた。店に残っている同じ生地のハギレも買い占め、ご機嫌で店を出たところで、目の前に書店があるのを見つけた。二階建ての書店を見て、ある事を思いついた。

「本屋さんも行っていい?」
 
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