ぼくらは薔薇を愛でる

元婚約者

 翌朝、日の出の頃、レグホーン達は支度を終えた。
「用事が済んだらまた来てくれな」
「ああ。店主、世話になった、これを」
 紙に包まれた金を、マルーンから受け取って団長に渡した。
「いやいや受け取れねぇよ!」
「これは食事代だ、あなた方が作ってくれたものはどれも美味しかった。それに弁当まで作ってもらってありがたい」
 笑顔でぐいぐいと渡された包みを受け取る団長。
「道中、お気をつけて」

 日の出頃に道を行く者は多くなく、キンと冷え切った空気が心地よかった。途中、馬を休ませるタイミングで、宿で作ってもらった弁当を平らげた。そうして先を急ぎ、団長の言っていた通り、日暮れ前に王都へ着いた。宿を確保してから食事をしに入った食堂で思わぬ会話を耳にした。

 つい立てで仕切られている席に着いて料理が届くのを待っている時だった。隣のテーブル席にいる男性客の声が思いのほか大きく、聴くとはなしに聞こえてしまった。
「ねぇ、ダブグレイ様ぁ? もう元婚約者の方とは会ったりはしないの?」
「ないない、ありえないよ、あんな気味悪い女に誰が会いたいと思うか」
「気味悪いってひどぉい、きゃっ、ダメだってこんなところで……んっ」
 甘ったるい、耳障りな女の声に四人は眉を顰めた。ここは街中にある、そこそこきちんとしたレストランだ。場末の、そういう部屋が着いている食堂ではない。およそ食事をする場には似つかわしくない。
「だってあいつ、ここに痣があったんだぜ、あんなの持っているって知ってたら婚約なんか受けなかった。あんなの触りたくもない……お前みたいにきれいなら……」
「あぁん、だめぇ」
「いくら侯爵令嬢でもアレじゃ貰い手なんかねぇだろ。おまけに親父が乱暴者だぞ、婿に入ってやるって言ったのに」
「でもぉ、王都に来てていいのぉ? 謹慎って聞いたけど」
「あんなところにいつまでも居られるか。お前も居ないし、つまらなかったよ……」
 店中に聞こえるわけではないが、少なくとも彼らの席の両隣に会話は筒抜けで、レグホーン達とは反対側の席の客はこの時に席を立った。スタッフに耳打ちをして出ていく様子をレグホーンは目にし、拳を握り締めた。

「ねえ、もしかして彼の話してる元婚約者って」
 マルーンの小声の問いに、ゼニスが無言で頷いた。レグの隣に座るクラウドが膝を軽く叩く。
「レグ、抑えろ」
 やがて注文した料理が運ばれてきたが、食べる気分じゃないのは皆同じで、少しのため息をついてクラウドは持ってきたスタッフに声をかけた。
「申し訳ないが、こちら持ち帰りにしてもらえるだろうか」
「は、はい、承知いたしました。あの……何か不手際でもございましたか」
 料理を持ってきたスタッフが困り顔をし、腰を屈めて聞いてきた。
「ここを娼館と勘違いしておられる方の隣ではとても食事をする気になれないだけなんだ、すまないが早めにお願いしたい、そぐわない振る舞いをする方の隣から早く立ち去りたい」
 クラウドはやや声を高めて言った。つい立ての向こうにも届いたらしく、声は止んで男性が立ち上がった。
「なんだと? 俺は客だぞ!」
 こいつが自分は客だと言う。だが、この店で食事をしている者だって、皆、客だ。目の前で喚いている男に今ここで言い返しても意味はなく、程度の低い者と同じ土俵に降りてやる必要はない。レグホーン達は彼を無視して、包まれた料理を受け取り支払いを済ませて店を後にした。

「部屋でゆっくり食べよう、その方がいいよ、余計な話聞かなくて済むし」
 マルーンがそう言って、あと一回角を曲がれば宿、という時、後ろから走る音が聞こえて呼び止められた。
「おい、お前ら、待てよ!!」
 クラウドが咄嗟にレグホーンを背に庇い、前に出る。
「何か用か」
「さっきはよくも恥をかかせてくれたなぁ!」
「貴殿が勝手にかいた恥だろう。あの場にふさわしい振る舞いをしていたなら、かく恥などありはしない」
「……くっ!!」
 男はクラウドに殴りかかってきた。だがクラウドは振りかぶってくる腕を華麗に躱して、男の右腕を背中に回し壁に押し付け動きを封じた。決着は一瞬だった。

「きっ貴様! 離せ! 俺を誰だと思ってるんだ、こんな事していいのかよ! 侯爵家と縁があるんだぞ!!」
 押さえつけられながらも悪態をつく男は、かつて侯爵家に婿入りする程の縁があったのだと口走ったが、店での会話を聞く限りだと、笑いしか出てこず、四人は失笑した。
「縁があった、だろう? もう無いだろうが」
「人の威を借りて喚く姿ほどみっともないものはない」
「いててて!!! 離せ!!」
「公衆の面前で、ああいった行いはみっともない、今後辞めてくれると助かるんだが」
「何をしようと俺の勝手だろう!」
「……時と場所を考えろ、と言っている。貴様も貴族令息ならそういうマナーは学びはしなかったのか。一歩外に出たなら家名を背負っている事を忘れてはならない」
 クラウドが力を緩めたとたん、男は舌打ちをして脱兎の如く駆け出して行った。

 店を出てからずっと黙っていたレグホーンは息を吐いて言った。
「何か言ったら止まらない気がして、我慢してた。もし帯刀していたら、あいつを串刺しにしていた……クラレットを傷付けた張本人なんだ、許せるわけがない。皆が居てくれてよかった、ありがとう」
 三人に頭を下げる。
「王子は簡単に頭を下げたらダメだぞ、まあレグホーンの頭を見られるのは気分がいいけど」
「たしかに!」
 ゼニスがピシャリと言えば、クラウドは笑って乗ってきた。
「あいつは自滅していくよ。もうクラレット嬢の前には現れないと思うよ」
 マルーンは静かに、やつの走り去った暗闇を見遣って続けて言った。
「さ、早く戻ろ。先触もするんだろう? 遅くなっちゃう」

 四人は部屋で先ほどの料理を食べた。少し冷めてしまったが、先ほどの騒ぎを忘れて楽しく食べ終えた。そして明日のためにゼニスとクラウドが先触としてバーガンディ侯爵家へ向かうことになった。
「内鍵掛けていてくれ。寝てしまってもいいぞ」

 ゼニスはローシェンナ出国前に、父である宰相からいくつかの書類を受け取っていた。
 もしウィスタリアに王子の想い慕う令嬢が居たなら、そして叶うなら婚約を申し出る際、先方の家に渡すための身分証明書のようなもの、ローシェンナの正式な婚約申請書、ウィスタリアへ提出する申請書などを持ち歩いていて、これらを持参して侯爵家へ向かった。
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