ぼくらは薔薇を愛でる

動き出す

 対の痣を持つものと触れ合った瞬間、どういう変化を起こすのだろう。指先が光るんだろうか。それとも、本で読んだような古の魔法陣のようなものが浮かんだりする? はたまた空中に何かが生じて二人を照らす?
 レグホーンは色々と考え恐々と彼女達との握手を続けたが、指先が光ることもなければ、足下には何も浮かばなかったし、頭上から照らされたりすることもしなかった。左胸の痣も何ともなっていないから、彼女達の中に対の痣は居なかったことになる。
 これを父に告げ夜会を退場させてもらったが、父の私室に連れ込まれて、今は向き合って座らされている。

「そうか、居らなんだか」
「はい、なんだか……申し訳ありません」
 ふーっと大きく息を吐いた父を見遣ってぽそっと呟いた。がっかりさせたかと思った。だが、思いの外、そうでもなかった。

「でもあれだ、『対の痣を持つ者を伴侶にすれば』いいと思うよ〜という意味だから、今宵見つからなかったといって絶望する事はない。お前は自らの足で見つけるのだろう?」
 顎に手を当てて、にこやかに言った。

「は、はい」
 レグホーンは、両膝に握りしめた手を置いて背筋を伸ばして答えた。

「招待した者達には、ドレスを何着か仕立てられるだけの布地と報奨金を贈る事が決まったから安心しなさい。で、だ。行きたい街はあるか」
「ございません」
「市井に降りて具体的に何を学びたいかは決めているのか」
 きた! と思った。

「怪我や少しの病なら対応できるように医学と、騙されないために算術、あと天気や季節の相を解りたいから星読、民の暮らしに欠かせない、パンを作ったり本屋や花屋などをいくつか!」
「わりと多いな。ふむ、そうか……ならば、わかった。それも父に任せよ。しばらく時間をくれるか」

 およそひと月後、レグホーンの市井での社会勉強の概要が決まった。
 逗留する街は、王妹が降嫁したジョンブリアン侯爵の領地・スプリンググリーンに決まった。王都よりも小さいが、古くて温厚な、治安のいい街だ。叔母である王妹夫妻は話を聞いて、可愛い甥のためならばと協力してくれる事になった。とは言っても、王妹の甥だなどと明らかにはできないから、侯爵の遠縁の子息、という事になった。
 街のはずれにある空き家となっていた小さな屋敷を買い上げ、ここを侯爵家別邸とし、警備強化を含めた内装工事に着手した。外構工事も同時に行われた。門番用の詰所、正門と裏門の強化、狭くない庭の整備など、考える事、決める事が多数で面倒だろうに、夫妻はイキイキと動いてくれた。

 屋敷には城から連れていく従者に加え、ジョンブリアン侯爵家から、腕利きの執事と女中、屋敷の維持に必要な人員が数名、派遣された。彼らは護衛も兼ねており、たとえ女中一人であっても暴漢を撃退できるだけの武術剣術を体得していた。特に王子だと知られれば命を狙われるリスクは格段に上がる。やり過ぎなくらいがちょうどいいと侯爵は笑い、快く彼らを派遣してくれた。

 社会勉強のカリキュラムも決まった。一つの職業につきおよそ10日から14日。最終日にレポートを二通まとめ、一通は職場長へ、もう一通は城へ提出する。職場長へ提出されるレポートには、実は王子である事が明かされており、だがこれを口外しない事を約束する旨の署名欄に署名した上でジョンブリアン侯爵邸へ届けるよう指示されている。また城へ提出されたものは父王がこれに目を通し、「了」の印が押されてレグホーンへ戻ってくる仕組みで、どこで何を学び何を感じたかを自身でも振り返れるようになっていた。

 また、王子として細かく取り決められていた公務ほか学園へ上がるまでの勉強も見直された。ひと月に二種類の職場体験をするが、これは学園へ入る15歳まで続ける事が決まり、剣術の他、城ですべき王子としての勉強も、量は抑えながらも侯爵家別邸にて行われるし、時折は城へ戻り、街の様子や感じた事などを報告する日も設けられた。

 こうして多方面への連絡や調整をし、レグホーンは期待を胸に、スプリンググリーンへ発った。
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