ぼくらは薔薇を愛でる
最終章

全て

 夢を見た。小さなレグと街を歩き花を一輪もらった。それからレグのお屋敷でレモンタルトを食べた。"何か"を作ってもらうのを楽しみにしている、と自分が答えていて、夢の中のレグが約束してくれた。そして、接近したレグが真面目な顔で言っていた。

『必ず君を迎えに行くから』


 ゆっくり目を開ける。目尻は濡れていて、今しがた見た夢の少年は、これまで傍にいてくれた人だと、全て思い出した。首の辺りをまさぐり首飾りを握れば胸の奥がツキンとし、じわりと目頭が熱くなる。

 ――そうだわ、レグだった。庭で剣を振るっていたのも、おでこにキスしてくれたのも、祭のあとキッシュを作ってくれたのも、幼い頃ローシェンナで出会ったレグ……私が好きになったレグだったわ。約束通りに来てくれた。

 全て思い出せば、レグに会いたくて仕方なかった。会って、忘れていた事を、全て思い出した事を伝えたい。きっと何度もガッカリさせた。もしかしたら初めからガッカリしっぱなしだったかもしれない。それでもこれまで寄り添ってくれていたのだ。

 バルコニーで気持ちを落ち着けていたら、レグが真下に居た。嬉しいのと申し訳ないのと愛しさが混じって感情が昂ぶって涙が溢れた。
「どうした、クラレット」
 バルコニーを上がってきたレグホーンが肩に手を置いて気遣ってくれる。

「ごめんね、レグ、忘れていて……」
 クラレットの肩に置かれた手に僅かに力がこもった。そのまま引き寄せられ、クラレットはレグホーンの腕の中に抱き止められた。

 無言のままクラレットを抱きしめるレグホーンが微かに震えているような気がして、クラレットは口を開いた。
「私があの時渡したクマのポプリも大事にしてくれてたのよね、ありがとう」
 レグホーンの荷物にぶら下がっているのを見た。見覚えがあるな、とは思っていた。

「レグ? 泣いてるの?」
 ぐすり、と鼻を啜る音が聞こえた。
「――ようやくだ」
 クラレットの肩に顔を寄せたレグホーンはぽつりと言った。その声は震えていた。そろそろと腕を伸ばしてレグホーンの背を何度もそっとさする。

「あの頃の夢を見たの。黒い髪の男の子が自分の首飾りを私にくれるの、小さなリングのついた首飾りよ。深く青い瞳をしていて、それでその子が言ったのよ――」
 抱きしめていた腕は解かれ、その深い青の瞳が、クラレットを真正面から見つめる。
「迎えにきたよ、クラレット」
 忘れてしまうなんて情けない。大事な思いだったのに。例え高熱によるものとはいえ覚えていなかった自分が情けなくて溢れる涙に混じって、レグの一言が嬉しかった。

「お待ちしていました」
 レグホーンの耳に届くくらいのとても小さな声。おでこが触れるくらいに近づいたレグホーンは、忘れていたくせに、と恨み節を一つ吐くと、そのままクラレットの唇を塞いだ。離れては重なって深く求め合って、を繰り返していた時だった。

「……!?」
 二人の身体に、ほんのわずか電撃が走ったような、ビリッとした感覚があった。思わず唇が離れる。

「な、に……あの時と同じ」
 初めて手を触れ合った時に感じた衝撃と同じ感覚が全身に走った。だがそれは一瞬で消失した。
「何だったんだろう。ね、レグ」
 戸惑ったままの、クラレットの手をとってレグホーンは片膝をついて見上げた。
「クラレット・バーガンディ嬢」
「は、はい」
 こういうシチュエーションは何を言う時なのかくらいはクラレットだって知っている。何度もこういう場面を本でも読んだ。人生における大きなイベントの一つだ。読んでいた時は婚約者がいたから、一生自分には縁が無いと諦め、憧れてもいた。完全に他人事として捉えていたのに、いま目の前に、好きな相手が片膝を付いている。口から心臓が出てきそうなほど、鼓動が速まっていた。

「ローシェンナ帝国第一王子レグホーン・ローアンバー・ド・ローシェンナは、貴女を妃に望む。私の妃になって、私の隣で共に生きて欲しい。クラレットと生きていきたい」
 わずかに震えた声だった。レグホーンもクラレットと同じく、心臓がしゃべっているかのように、その緊張を声に乗せていた。

「え、え、レグ、ホーン、ローシェンナ……?! え、王子?」
 身分を現す名前を聞いてたじろいだ。疑問がいっぱいだった。レグという名は偽名? ジョンブリアンは? 妃? うそ……王子? クラレットは混乱した。立ち上がったレグホーンは握ったままの手を強く引いて抱きしめた。

「でも、わた、し……」
 腕の中で声を出す。
「他に好いたやつがいるのか」
「いっいません、いるわけがない、レグしか好きじゃない――」
 レグしか知らない。レグしか好きじゃないの。深呼吸をし、レグホーンを真正面から見て言った。

「私は結婚直前で破談となった、いわゆる傷物なのよ。ただの貴族に嫁ぐのとは規模が違う。その私があなたの妃になること、あなたの国の方々が許さないのではなくて……それに私には……」
 胸を手を当ててうつむくクラレット。もっとはやく告げていたらよかった。痣のことを知ったら、レグも気味悪くて離れていくかもしれない。離れるなら、妃にと望んでくれた今じゃないほうがよかった。もっと早く告げていたら……どうしよう、話すなら今ではないだろうか。痣を告げる勇気が出ない。だが告げないまま妃になる事はできない。クラレットは俯いて黙った。

「どうした?」
 それに先ほどから、痣が熱を帯びてきてひどく不快だ。気のせいにできないほどにチリチリと熱い。

「痣が、熱くて……苦し、の……」
 右胸に手を当てて背を屈める。

「苦しいなら横になっ……え、まって、痣?」
 いつかのように横抱きにしてベッドへ運ばれながら、両の目を強く瞑った。気味悪いって言われる。押しのけられてしまう。その衝撃に耐えるかのように全身に力をこめた。

 ――ああ、やっぱり言わないほうがよかった……。

「申し訳ありません、妃にと望んでいただいたのに」
「違うクラレット、責めてない。話を聞いて。僕にも痣がある」
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