きんいろ
夕暮れの向こうがわ
 美術部には珍しく、日曜日に活動があった。二週間後に迫った十月のクラブ展についてのミーティングだ。ミーティングは午前中の二時間ぐらいで終わって、部長と副部長はギャラリーを貸してくれる書店に最後の打ち合わせに行った。あとの部員は、美術室に残って描いてもよし、帰ってもよし。
 私は描かないつもりだった。このあと、予定がある。けれど、まだ美術室にいる。校門前のコンビニで買ったサンドイッチを食べながら、イーゼルに掛けた自分の水彩画を眺めている。
 クラブ展に出す予定のひまわりの絵だ。夕暮れが描けなくて悩んでいた私に、佐倉先輩が、構図が面白いから、と描くように勧めてくれた作品。一応、完成はしたのだけれど……。
「納得いかないの?」
 私の予定につきあってくれる予定の愛ちゃんが、一緒にコンビニで買ったおむすびをもぐもぐしながら、私の肩口からぴょこんと顔を出してひまわりの絵を見る。
「うん。……ひまわりの色、どう……?」
 眩しいくらいに元気な黄色にするはずだったのに、何だかとても透き通った……透明過ぎる黄色になってしまった気がする。見ていると、心がつんとしてさみしくなるような。
「きれいじゃん?」
 と、言う愛ちゃんの横で、佐倉先輩も私のひまわりをのぞきこんだ。
 佐倉先輩は午後も美術室で描いていくそうだ。
 描くのはあのグリーンの絵じゃない。あの作品はとうに完成している。美術室をスケッチするんだそうだ。イーゼルスタンドを立てかけた壁や、棚に無造作に置かれた胸像や古布、床にこぼれた油絵の具なんかを。
 もうこの美術室で描くこともなくなるから。思い出を写真じゃなくてスケッチで残すんだ──って。
 私のひまわりの絵をしばらく見つめたあと、佐倉先輩は、少しだけ首をかしげて微笑んだ。
「いいんじゃない? 明るくて、透き通って、切なくて」
 そうして、まだタイトルの決まっていなかった私の絵に『燃え上がる夏のかなしみ』というタイトルをつけてくれた。
「きゃー、佐倉先輩ってば、詩人!」
 愛ちゃんに叫ばれて、佐倉先輩は顔を赤くする。言い訳をするみたいにギリシャ神話の話をした。太陽神に片思いして、お日様を追い続けて、ひまわりになってしまったニンフのお話。夏の明るい太陽の下で元気に咲くひまわりに、実は悲しい恋の伝説があってね、だからね……って。
「佐倉先輩って博識!」
 ますます感心する愛ちゃんに、佐倉先輩はますます赤くなっていたけれど。
 私は腕時計を見た。そろそろ時間だ。拓南の試合の。
 サンドイッチとおむすびで簡単にお昼ごはんを済ませて、愛ちゃんと私は美術室をあとにする。
「サッカーの応援?」
 佐倉先輩の言葉に、にこっ、と笑って頷いて。

 冬のサッカー選手権の県予選が始まっていた。県で優勝すると、お正月にテレビでも放送される全国大会に出場できる。
 城東サッカー部の目標は、毎年、『県で優勝して全国大会出場』だそうだ。でも、ここ十年くらいは優勝からは遠ざかっているみたい。惜しくも準優勝とか、ベスト4とか。
 それでも十分すごいと思うのだけど、拓南に言わせると『てっぺん』とそれ以外は全然違うらしい。
 うーん、美術部にもコンクールがあって、賞をとれると嬉しいけれど、『てっぺん』という気分にはならないかなあ。拓南が小学生の県大会で優勝したとき浮かべた表情は、私が作品を納得いく表現で完成させたときの『描けた!』って感じに近かった気がする。
 でも、優勝したときの拓南の『やり遂げた』って表情をもう一度見たいので、私はがんばって拓南を応援する。
 ……なんてことを考えているとき、私は心の片隅であの写真のことも思い出していた。賞状とメダルを持った、おそろいのグリーンのジャージの三人。あれはきっと中体連か何かで優勝したときの写真だ。とても嬉しそうな笑顔だった。
 川崎さんがふたつに裂いた写真を、私は家の庭の隅でこっそり燃やした。写真をごみに出すなんてできなかったし、そのまま自分の机に隠しておくなんてもっとできなかった。細く立ち上った白い煙を見送って、残った灰は土に埋めた。
 煙は空に上る途中で消えた。灰もいつか土に同化するだろう。
 教室の掲示板に貼ってあった写真がなくなったことに佐倉先輩が気づいたかどうか、私にはわからない。でも、気づかないはずはない。気がついたとき、佐倉先輩がどんな様子だったか気になるけれど、知る術はない。変ね、と不思議に思うだけで終わってくれたならいいのだけど。
 ただ、写真を燃やしたことで、私の心は軽くなった。今日も、佐倉先輩と今まで通りに話すことができた、そのくらいには。
 川崎さんが破った写真はもうどこにもない。存在しない。佐倉先輩の目には永遠に触れない。だからって、川崎さんが写真をふたつに裂いた過去までなくなるわけではないし、先輩たち三人の『腐れ縁』が変わるわけではないけれど。
 誰にも言うな、と言われた秘密を心にしまっておくのが、ほんの少し楽になった。
 美術室を出た愛ちゃんと私は、グラウンドに向かった。
 ちなみに、愛ちゃんは私を拓南のカノジョとは認定していない。幼馴染だよね、と言う。でも、幼馴染みのふたりがカレカノになる過程を私と拓南でじっくり観察して楽しみたいんだそうだ。愛ちゃんって、あっけらかんとして面白い。
 選手権大会は、決勝トーナメントは客席のある競技場で行われるけれど、予選リーグの会場は参加校のグラウンドであることがほとんどだ。今日、城東高校のグラウンドではリーグ戦二試合が行われる。城東の試合は午後で、もうすぐ始まる。愛ちゃんと私は、グラウンドの隅の木陰に座った。
 ふわり、といい匂いがした。秋になると街を包む甘い匂いだ。
「金木犀だったんだね」
 日陰をつくってくれている木を見上げて、愛ちゃんが驚いたように言った。
 うん、私も、今日、初めて気がついた。緑の葉の間にオレンジ色の小さな花がのぞいていて。
 花はまだ咲き始めたばかりのようだ。でも、香りはしっかりと辺りの空気に融けている。
 県強豪の城東サッカー部にとって、予選リーグは勝って当然の試合だった。拓南はスタメンでツートップの右。ホイッスルが鳴り、試合が始まる。
 予想通り、城東が前半で3点もリードした。拓南は1ゴール1アシストの活躍だ。実際にピッチを走る選手たちにはそんな雰囲気はないけれど、応援する愛ちゃんと私はすっかり楽勝ムードになってしまう。
 後半に入ってもゲームの流れは変わらない。開始五分で城東がコーナーキックのチャンスを得た。ゴール前に上がったボールにジャンプする敵味方の選手たち。競りあった数人が、もつれるようにグラウンドに落ちた。
 ボールは相手ディフェンスがクリアしてゴールラインを割った。もう一度コーナーキックだ。城東のチャンスが続く。愛ちゃんと私は、よし、と手をたたく。ゴール前で競りあってグラウンドに倒れた選手たちはそれぞれに立ち上がり……。
 ……選手がひとり、倒れたままだった。サックスブルーのユニフォームは城東のもの。膝を抱え、背中をこっちに向けている。背番号が見えて、私の心臓が冷たくなる。
 拓南だ。
 ちょうどボールデッドになっていたので、審判とチームメイトたちが拓南の周りに集まった。チームメイトたちは、拓南の様子をちらっと見ただけでベンチに向かって腕を交差させて×のサインを送り、拓南をラインの外に運び出した。ベンチから、コーチとマネージャーが救急箱を持って拓南に走り寄る。ピッチには交代の選手が急きょ入って。
 そんなの、サッカーにはよくあるシーンだった。FWの拓南がディフェンスに削られるところなんて、何度も見たことがあった。──だけど、拓南はいつもすぐに立ち上がっていた。体の具合を確かめるように数歩ゆっくりと動いたあとは、ピッチを切るように走り出していて。
 地面に膝をついたコーチとマネージャーの陰で、拓南は仰向けのままだ。動かない。
「大丈夫だよ、美雨」
 愛ちゃんが支えるように私の腕を掴んでいた。
 真っ青だったんだもん。あとで愛ちゃんは、そのときの私のことをそう言った。
 コーチがベンチに走って戻り、監督と早口に何か話した。
 拓南がコーチに背負われてグラウンドを去るのを、私はその場から立ち上がることもできずに見つめていた。
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