きんいろ
しらない夏
 ビシッ、と決まったスパイクに、コートの周りの見物人が『おおっ』とどよめいた。
 定期テストが昨日で終わり、校庭の木立でしゃんしゃんとクマゼミの鳴きしきる中、今日と明日の二日間をかけて、校内球技大会が行われる。
 学年別クラス対抗、ひとり一種目参加──ということで、私の参加種目は女子バレーボールだ。一回戦に勝ったあと、隣のコートでやっている男子バレーの試合を見たら、ちょうど拓南のクラスの試合が始まっていたので、クラスメイトの吉川柊子とふたりで足を止めたところだ。
 柊子は中学二年生で同じクラスになってから、ずっと仲良しな女の子だ。高校でも同じクラスだとわかったときは、やったー、とふたりでぴょんぴょん飛び跳ねた。入学してすぐ、高校の敷地と裏の丘を『探検』して、一緒にバスケットコートを見つけた友達も、柊子だ。
 親友は? と聞かれたら、私、きっと柊子のことを思い浮かべる。
 実は、中二で同じクラスになる前から、私は柊子を知っていた。というか、同級生はみんな柊子のことを知っていたと思う。スポーツでの男子の有名人がサッカー部の拓南なら、女子の有名人は女バスの柊子だった。運動神経抜群なだけじゃなくて、生徒会活動もしていて、いつも複数の友達に囲まれていて、キラキラ輝いている感じがした。
 きりっとひとつに結んだ髪は真っ黒で、すらりと背が高くて、制服のスカート丈をちょっと短くしているのもかっこよく似合っていて……。同級生だけじゃなく先輩や先生ともはきはき話せて、笑顔が明るくて……。
 だから、私は柊子に憧れていた。自分がスポーツがあまり得意じゃなかったり友達が少なかったりしたから……というのもあるけれど、それだけで憧れたんじゃない。髪の色がみんなと違うとか、サッカーがうまくて人気のある男の子と仲がいいとか、そんな理由じゃなくて自分自身の能力や性格で周囲の視線を集めている柊子は、とてもかっこよく思えたんだ。
 でも、柊子と友達になろうとは考えなかった。なれる、とも思わなかった。柊子は自分とは違う華やかな世界にいて、私はそれを眩しく見ているだけ。
 二年生で同じクラスになっても、遠くから憧れている気分は変わらなかった。話すこともほとんどなかった。だけど、夏休みが明けて間もないある日、柊子はひとりで私のところにやってきて、絵を褒めてくれたんだ。
 夏休みの美術の宿題は、風景画だった。私が描いたのは、夏空を背景にしたノウゼンカズラ。空の青と花のオレンジのコントラストがとてもきれいで描きたくなった絵。
 宿題の絵は、教室前の廊下の壁に貼りだされた。クラス全員分。
 その次の日の昼休みだった。柊子が廊下の絵の前で足を止めていた。
 私は教室で本を読んでいた。目がちょっと疲れて一休みしたとき、たまたま廊下の柊子が目に入ったのだけど、そばにひとりも友達がいない柊子が珍しくて、思わず見つめてしまっていた。
 すぐに、じろじろ見るのは失礼だ、と反省して文庫本のページに目を戻したのだけど、しばらくしてから廊下を見たら、柊子はまだ同じ場所に立っていた。
 同時に、柊子が見ているのが自分の作品だと、気づいた。
 え、ずっと私の絵を見ている? どうして? ──小説の活字が頭に入って来なくなった。
 柊子は長い時間私の絵を見ていた。私の絵だけを見ていた。
 やがて、ようやく絵を離れて教室に入った柊子は、私の席の前で足を止めた。
 私はひたすら活字を見つめる。心臓の音が痛いくらい耳に響く。絵を見ている柊子にちらちら横目を走らせていたのが後ろめたくて、気づかないふりしかできない。
 そのとき、柊子が深呼吸するのが、気配でわかった。
『木暮さん』
 思い切ったような声で呼ばれてはじかれるように顔を上げると、柊子はさっと赤くなった。そして、木暮さんってステキな絵を描くんだね、と言ってくれたのだ。
 胸が、きゅうん、とした。
 ありがとう、と小さな声で返した。嬉しかった。
 そのときから、私は柊子によく話しかけられるようになった。柊子はいつも大勢の友達に囲まれているイメージが合ったのだけど、私と話すときはふたりだけで話すことが多かった。
 というか、柊子は私とふたりで話ができるときだけ、話しかけてくるみたいだった。柊子に話しかけられると私はどぎまぎしたけれど、柊子も緊張しているようだった。いつも友達と絶え間なくしゃべって笑っている柊子が、言葉につっかえたり、口ごもって頬を染めたりしていた。
 まるで人見知りで口下手な自分を鏡に映しているようだった。今まで接点も共通項もなくて、何を話したらいいのかよくわからない。でも、話したい──互いにそんな感じでぎこちなく会話を重ねて、思った通りの言葉を少しずつ出せるようになって……。
 一年の秋からすでに女バスのエースだった柊子は、部活内のグループの対立や自分への嫉妬に悩んでいて、やがて、それをぽつりぽつりと私に打ち明けるようになった。
 憧れの女の子の、想像もしていなかった悩みに胸がとても痛くなったけど。
 私は、上手な励ましもアドバイスひとつも返せなかった。
 ──つらいね
 と、呟くだけで精いっぱいだった。
 けれど、柊子は、
 ──聞いてくれてありがとう
 と、私に笑ったんだ。
 恥ずかしそうでいて嬉しそうな、そしてちょっと泣き出しそうな、複雑な笑顔だった。
 そのとき、私たちは夕暮れの公園にいた。テスト期間中で、一緒に図書館で勉強したあと公園に寄り道して、並んでブランコに腰かけていた。他に人はいなくて、私たちの影がオレンジ色の光の中に長く伸びていた。
 柊子は私に向けた視線を夕日の方に動かして、眩しそうに目を細めた。 
 ──苦しくてさ、ずっと誰かに話したかったの。でも、こんな気持ちをヒトに知られるのも怖くて。同情するフリをして心の中では笑うんじゃないか、とか、みんなに言い触らされたらどうしよう、とか。
 囁く柊子の顔が赤かったのは夕日のせい……だったのかな。私に目を戻して、柊子は照れ隠しみたいに、にっ、と笑ったんだ。
 ──木暮さんなら、あんなきれいな絵を描く人なら、話しちゃっても大丈夫かな、って思っちゃったんだよね
 私は心の底から驚いていた。動揺もしていた。絵が上手だね、と褒められることは今までもあったけれど、絵を通してそんなふうに自分を見てもらえたのは初めてだった。そして、部活や生徒会で活躍している人気者の女の子が、たくさんのことで傷ついていること以上に、それを周りにいる大勢の友達の誰にも言えないでいたことに衝撃を受けていた。
 急いで言っていた。
 ──うん、私なら、大丈夫。ほら、言い触らす友逹、あんまりいないし
 言ってから、恥ずかしくなる。というか、悲しくなる。
 柊子の顔も悲しそうになった。
 ──そういう意味で打ち明けたんじゃないよ?
 ──あ、うん、ごめん
 ──なんで謝るの?
 そうだね、なんで謝るんだろう。
 ──……でも、私、聞くしかできないから、やっぱり、ごめん、かも
 そう言うと、柊子の表情が和らいだ。
 ──ううん、聞いてくれるだけでいい。ありがとう。少し、すっきりした
 胸がざわざわした。
 私にも心がずっと塞いでいることがある。誰にも言えなくて、諦めて、慣れかけていることだけど……。
 ──あのね、私も聞いてほしいことが……
 思い切って口に出した。木暮美雨、という女の子が、木暮美雨である前に拓南のカノジョ、として扱われること。
 柊子は首をかしげた。
 ──それって、あれ? 世の中のお母さんたちが、自分の名前じゃなくて、○○ちゃんのお母さん、って呼ばれるのが嫌だっていう感じ?
 私は少し考える。ああ、似ているのかも。自分自身じゃなくて、他の人の、何ていうか……付属品。
 ──そんな感じもあるし……カノジョじゃないのに、カノジョって言われることも嫌
 ──でも、木暮さんが浅羽と仲が良いのは事実だよね?
 ──親戚だし、幼馴染みだし、きょうだいみたいなものだと思うんだけど
 ──私、弟がいるけど、木暮さんと浅羽みたいには仲良くないよ。とりあえず弟と一緒に登校はしないな。カノジョって思われるのが嫌なら、そういうの、やめてみたら?
 ──えっ……
 カレ以外の男子とは一緒に登校しちゃいけないの?
 戸惑って柊子を見つめ返すと、柊子はハッと表情を変えた。
 ──ごめん。悪いことしているわけじゃないのに、やめることないよね
 早口で言ってから、しゅん、とうなだれた。
 ──たぶん、こういうところが、嫌われるんだよね、私。相手の事情や気持ちをよく考えないで、えらそうに意見しちゃうの
 嫌われる? 誰に? 
 ──吉川さん、友達、たくさんいるじゃない
 ──うん、たくさんいる。私の前ではみんな私に合わせてくれる。でも、陰で『先輩たちもいるのにエース気取りでうざっ』って言っているの、聞いちゃったことがある。なのに、その子たち、私といるときは私を持ち上げるんだよね。陰口を聞かなかったフリでそれまで通りにその子たちとつきあうの、きつかった。口では私のこと『さすが』とか言いながら、心の中ではバカにしているのかな、って考えると怖かった。でも、バスケは好きだから、部活はやめたくなくて……
 ──……私も、拓南のこと好きだから、仲良くするの、やめたくない。カノジョじゃないのに、カノジョだって言われるのも、違うって言うと、嘘つきとかぶりっことかいわれるのも、嫌だけど
 そう言うと、柊子がうつ向けていた視線を上げて、私を見た。驚いたように目を開いていて、それから、にっ、と笑った。
 ──そうか。他の人に何を言われても、好きなことは好きでいいよね。もしかして、私たち、一緒にがんばれる?
 憧れていた女の子に、一緒に、と言われ、私の頬は熱くなった。うん、と頷いたあと、小さな声でつけたした。いちばんがんばりたいのは、絵、だけど……って。
 いつか描きたい、私の春の夕暮れ。
 そのあと、
 ──ごめん。実は、私も木暮さんのこと、ぶりっこだと思っていた。木暮さんの絵を見るまでは
 ──私は……吉川さんって、何の悩みもない人だと思っていた。スポーツが得意で、友達がたくさんいて……
 なんて告白しあって。
 ──何も悩みがないなんてただのあほでしょー
 ──私だってぶりっこなんかしてないもん
 ──いや、そのしゃべり方! ぶりっこだし!
 ──ふつーにしゃべってるだけだもん!
 声を出して笑いあって、私たちは互いを『美雨』『柊子』と呼ぶ仲良しになった。
 中学で女バスのエースだった柊子は、高校でも、もちろん、バスケ部に入った。惜しくも県ベスト8で敗退したインターハイでは、一年生ながらベンチ入りして、交代出場でコートにも立ったそうだ。中学のときはひとつに結んでいた髪を高校に入って切ったのだけど、毛先を軽く跳ねさせたショートヘアが、ゲームの美形男子みたいな感じに似合っている。
 運動神経抜群の柊子は、校内球技大会のバレーボール一回戦でも大活躍だったのだけれど。
「さすが、浅羽はスポーツではキメるね」
 足を止めて隣のコートを眺めたあと、うーん、と唸ってホメた。スパイクを決めた拓南のことを。
「ほとんど、カッコイイ、よ」
 私も、ちょっと、そう思った。額にきりりと締めたクラスカラーの赤のハチマキが凛々しく似合っていて。プレイは全身バネだぞって感じで。
 うえーい、とチームメイトとハイタッチを交わした拓南が、ふり向いて、ギャラリーの中に私たちを見つけた。視線を合わせ、にっ、と笑顔を送ってくる。私は笑顔に応えて、ガンバレ、と胸の前で小さく手を振って、だけど、そしたら──。
 近くで応援していた女の子たちに、ジロリ、とにらまれてしまった。
 拓南のクラスの女の子たちだ。どうも拓南推しらしい。廊下を歩いていたらグループで呼び止められ、木暮さんって浅羽とつきあってるってホント? と聞かれたことがある。
 一度も話したこともがないのにいきなりそんなことを聞くかなあ、と思うんだけど、そういう人たちってグループだと強い。
 中学のときから県選抜に選ばれるくらいのサッカー選手だった拓南は、高校でも入学当初からサッカー部に大物ルーキーが入ったと話題になり、すぐに有名人になっていた。
 高校のサッカー部はときどき朝練があったから、拓南が美術部の私と一緒に登校する回数は少なくなった。でも、朝練のないときは並んで家を出る。クラスの女子には愛想がない拓南が、違うクラスの私には自分からよく声をかける。そんなことが目立ってしまったらしい。そして、髪があまり見かけない明るい色なので、ほらあの髪がめっちゃ茶色い子だよ、とみんなに簡単に覚えられてしまった。拓南のクラスのそのグループ以外にも、同じクラスや部活の女子に、浅羽とつきあってるんだって? と何度か聞かれた。
 私は誰からの質問にも正直に答えたつもりだった。──ううん、つきあってるんじゃなくて、親戚。家も近所で、家族ぐるみで仲がいいの。だから、拓南は、きょうだいみたいなものなんだ。
 それで納得してくれた子もいたけれど、そうじゃない子たちの方が多かった。美術部でも、私を拓南のカノジョだと思い込んでいる人たちはいる。でも、その人たちは『照れなくていいのに』と微笑ましそうにするくらい。
 拓南のクラスの女子グループの反応は、全然違った。
 ──ふーん、でも、本当は? ホントは浅羽のことが好きだったりしないわけ?
 好きだけど、それは親戚で幼馴染みで……と、繰り返したら、私はその子たちに嫌われてしまったみたいだった。天然無邪気ぶりっこしてんじゃねーよ、って。
 中学のときもそうだったけれど、そういう子たちは、本当は拓南ラブなのに世間に『違う』とウソをつく、私の態度が気に入らないんだそうだ。そして、高校生になってからの悪口は、中学のときより少しパワーアップしていた。
 コクられたことはあるけど、男子とつきあったこともつきあいたいと思ったこともない、とかも言ってるらしいよ。──うん。確かに言った。コクハクされたことある? と聞かれたとき、正直にそう答えた。でも、『うっわ何その私実はモテるのアピール』なんて感想を持たれるとは思わなかった。
 めっちゃ純情キャラつくってない? すげえぶりっこ。ねえねえ、浅羽のカノジョじゃないって言い張るってことはさ、実は浅羽はキープくんで、他にいい男がいたら乗り換えるつもりなんじゃないの? うわあ最低……。──なんてビッチなキャラ設定もされてしまって。
 拓南が、両親が海外赴任して私の家に住んでいることもすぐに知れて、いやらしい、と言われてしまった。──親戚っていっても、血はつながっていないんでしょ? ラッキースケベを演出して浅羽の気を引いてるんじゃないの? で、きゃー、とか言って恥ずかしがるフリをして。あはは、あのぶりっこなら、やりそう。浅羽、まさかそんなのに騙されてるの? 可哀想ー。
 その子たちと同じクラスじゃなくてよかった、と思ったけれど、同じクラスじゃないから遠慮なく言いたい放題なのかもしれない。そのつまらない想像、私だけじゃなくて、拓南にも失礼だと思うんだけど。
 今も、その子たちの、
『今の手の振り方見た? あざとーい』
 ぎりぎりで聞こえるくらいの小声が耳に届いてしまった。つい、ため息がこぼれる。そうしたら、ぽんぽん、と背中が叩かれた。
 柊子だ。目線はバレーコートに向けたまま、唇が『気にするな』って微笑んでいる。
 ……うん。あのグループの女の子たちは、中学のときも気に入らない女子の悪口をよく言っていたのだそうだ。柊子のバスケ部友達の中にあの子たちと同じ中学出身者がいて、その子からの情報だ。その子は、あいつらに目をつけられるなんて道に落ちてた犬のウンコを踏むより運がわるいね、とむしろ私に同情してくれたらしい。──つまり、そういう人たちなんだから、気にするな、って柊子は私に話してくれた。今の『ぽんぽん』もそういうことだね。
『美雨と友達になる前は、私も、美雨と浅羽ってラブラブだと思っていたけどさ、近くで見ると、ホントにきょうだいみたいなんだよね。めっちゃ仲の良いふたごのきょうだい──今のところはね』
 そのとき柊子がそう言ってくれたことも思い出して、私もゆっくり微笑した。うん、きょうだいだよ。今のところも、これからも、ずっと───。
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