不倫の女
第1章 不倫の代償
 葬儀が終わり、人々が会場を後にしていく。

 人の気配がなくなっても私は動くことができなかった。
 少しでも動いたら崩れてしまいそうだ。

 目を閉じても目を開いていても、涙がこみ上げてきそうになる。

 ようやく彼の死を実感しつつある。
 
 考えないようにすればするほど彼との思いが溢れでてくる。

 何気ない会話。
 もらった言葉。
 交わした約束。
 行けなかった温泉。
 一緒に行ったコンビニ。
 行きたかったテーマパーク。

 目を開くと現在起きていることを抱えきれずに潰れそうになる。
 目を閉じれば過去が押し寄せて溺れそうになる。
 
 潰れながら溺れている。
 深い深い海の底に沈んでいくような感覚がある。
 沈みきって心臓が押しつぶされていくような痛みが走る。
 
 彼の死は私の体のほとんどを奪い去ってしまった。
 彼の生が私の心のすべてを奪い去うように。
 
 窒息しそうなほど息を止めていた。
 私は息継ぎをするために顔を上げて深呼吸をする。
 不意に彼の遺影が目に飛び込んできた。
 
 ご尊顔は故人とご家族の意向により見ることはできなかった。
 もし見られる状況だったとしても、私は見ることなどできなっただろう。
 
 遺影の中で彼は笑っている。そして少しだけ若い。
 遺影なんて見たくなかった。
 
 彼のことを思い出してしまうのは構わない。
 むしろかき集めて喪失感を埋めたい。
 
 遺影の中で彼は私の知らない顔をしている。
 
 私には向けたことのない笑顔。
 
 家族に向けた愛に満ちた笑顔。
 
 そんな顔、見たくない。
 
 家族旅行か何かで撮った写真だろうか。
 彼の笑顔が写っているフレーム外には、息子さんと奥様が写っているのだろう。
 
 胸の苦しみが大きくなる。
 
 こんな胸の苦しみを知ってしまうのなら、出会わない方が良かった。
 そんな紋切り型の思いしか出てこない。
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