恋、煩う。
エピローグ



「沙織さーん、これ実家で採れた野菜、要ります?」
「えっ、いいの? この前もいただいたばっかりなのに」
「いいんですよ、腐るほどあるんで」

じゃあ遠慮なく、と、大きな窓から射し込む朝陽を照り返す瑞々しいきゅうりを受け取る。
ここ、長崎に居を構える第二本社が稼働を始めてから一年と少し。地方特有の大らかな空気に包まれながら、私は日々会社のため身を粉にして働いていた。といっても定時退社が原則で、毎日健全な生活を送っている。

こちらにきてからは携帯も番号も一新し、松崎くんとは連絡を取っていない。
そして、転勤するときに泰明との離婚も成立した。大分ごねられたけれど、場合によっては弁護士を立てるつもりでもいると伝えれば、渋々引き下がった。今、彼が何をして過ごしているのかは知らない。私という元凶が消えたことで、少しでも昔の彼に戻ってくれていれば、と願うばかりだ。
ストレスの一切がなくなり、温かいご近所さんに恵まれたことで、嘘のように穏やかな日々が流れていた。
だけど……松崎くんのことを思い出にするにはまだ時間が足りなくて、自分でも笑ってしまうくらいに彼を引きずっている。
何度か好意を寄せてもらったり、よい縁談があったりもしたのだけど、結局今でも独り身だ。

「そういえば今日、東京の本社からイケメンが来てたんですよ!」
「へえ」
「あっ、またそうやって興味無さそうな返事する~!」

ぷう、と頬を膨らませたのは農家のご実家からよく野菜をおすそ分けしてくれる部下の女の子で、ミーハーな彼女はちょっと若い男の子が東京の空気を纏っていると、それだけでイケメンだと騒ぐようなかわいい子だった。

「だって、本社から人が来る度に言ってない?」
「今回は飛びぬけてイケメンだったんですよ! ほら、隣の部門に本社から一人来るかもって言ってたじゃないですか。笹野部長と歩いてたから、絶対彼だと思うんですよね」

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