政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
第五章
砦に駐在していた軍が王都に帰還する日の布告が出回ったのは三日後だった。

戦の残務処理を行う部隊が先に王都を出立し、引き継ぎを行った後に本隊が帰還してくる。

それが今から十日後だった。

その日は普段閉ざされている王都の正門が開け放たれ、王宮までの大通りを殿下を先頭にして行進してくるということだ。
大通りはエリンバルアの国旗と軍の軍旗がはためく。

毎日華やかに様相が変わっていく王都の様子とは裏腹に私の心は沈んでいた。

布告が出た翌日。侯爵邸に二通の招待状が届いた。

『リンドバルク侯爵並びに令夫人』

どちらの招待状もルイスレーン様とクリスティアーヌ宛てだった。

差出人のひとつは王室から。軍の凱旋帰国の翌日。それを祝う王宮での祝賀パーティーの案内状。

そしてもうひとつは、その更に翌日。国王陛下からの非公式な茶会の招待状だった。

これが届いてから……戦争が終わったと知らされた日から侯爵邸は上を下への大騒ぎだった。

半年以上ぶりの旦那様の帰宅。ダレクさんの指示で邸内は一から磨き上げられた。

帰還の日は、まず王宮に赴き国王陛下に帰還の報告をした後にここへ帰ってくるということで、私は邸で旦那様の帰りを待つ。

ひと晩ゆっくりして次の日の夜は王宮で晩餐会が開かれ、そこで夫婦で出席する。

マリアンナは晩餐会への支度で余念がない。
何しろ夫婦として出席する初めての夜会だ。

ドレスに始まり、それに合わせる宝石や靴などマリアンナは報せを受けてから毎日走り回っている。

「マリアンナ、お色直しなんてないから一着でいいでしょ」

なぜか仮縫いの衣装が何着もあり、疑問に思って訊ねる。

「いいえ、旦那様がお帰りになったからには今後あちこちからご招待があるでしょう。同じ衣装を着ていくわけにはまいりませんからね。何着あっても足りないくらいです。次の日には陛下からのご招待もありますし、ああ、どれもお似合いですわ」

なぜか旦那様が帰ってくる時に出迎えるためのドレスもある。

こんなにいらないという私の抗議はもちろん却下され、半日仮縫いに費やした。

私を憂鬱にさせるものはそれ以外にもあった。

ルイスレーン様が戻ってきた当分の間は診療所の手伝いを休むべきではとダレクやマリアンナに打診されていたからだ。

戦地から戻ったら休暇が与えられる。半年以上も留守にしていたのだから、暫くは侯爵家の主としての仕事をすることになるだろう。

「お二人は新婚旅行も行かれていないばかりか、夫婦としての生活もまったくされていないわけですから、旦那様がお休みの間は奥さまもお側にいるべきでは?」

マリアンナがそう言う。

「でもせっかくのお休みに、いくら妻だからと言って四六時中側にいるなんて、鬱陶しいと言われたなら?今まで私という存在がルイスレーン様の日常にはなかったのだから、いきなりは……」

そうは言っても広い邸なのだから互いに相手が煩わしければ、どこにでも居場所はある。
これは私の逃げ口上だとわかっている。

「あの者はそんなことを言っていたのですか!」

『あの者』とは愛理の夫のことで、私が彼とのやりとりについてあったことを話すと、彼女は一度も会ったことのない彼をいつしかそう呼ぶようになった。
どうも彼の愛理への態度がお気に召さないらしく、最初は愛理様の旦那様と呼んでいたのがいつしかそんな呼び方になった。
彼女曰く、もっと蔑んだ呼び方(「あいつ」とか)でもよかったのだが、『あの者』で手を打ったらしい。

「鬱陶しい」「黙って言うとおりにしろ」「口答えするな」「こっちから話しかけるまで声をかけるな」「何不自由ない生活をして好きなことをさせてやっているんだ。有り難く思え」

先生にモラハラと言ったことは間違いだった。
ニコラス先生は口が悪いだけでとてもいい人だ。

彼の態度は父が亡くなってからはもっと酷くなり、時にはDVに近い行為もあった。

「ルイスレーン様はそんなことおっしゃいませんよ。私たち使用人にもとてもお優しい方ですから」

確かにマリアンナたちがルイスレーン様について語る時は雇い主への尊敬の念が伝わってくる。
いい主なんだろう。

「でも、ニコラス先生のところもすっかり慣れてきたし、子どもたちも懐いてくれているし……」
「せっかく始められたことですし、こちらの勝手で休むということを言い出しにくいとは思いますが、今はルイスレーン様の奥様としての役割を全うすべきではありませんか。それに、私の言葉では信用していただけないかも知れませんが、今のクリスティアーヌ様は……愛理様の記憶があるクリスティアーヌ様はとても素敵な女性ですよ。前のクリスティアーヌ様が悪いとは申しませんが、努力家で辛い経験をなさった分、人を気遣われ、お優しくて明るくて、お美しくて……十二分に魅力的です」

マリアンナは私と言う人間を買ってくれている。心強い味方だが、その分かなり贔屓目で見ているのではと思っている。

そんなことはないと彼女なら言いそうだが、おばさんから見たいい子は、異性から見て魅力的ではないという、暗黙なルールがある。

「いい子なのよ~」とか言って年配の女性が推してくると、確かにいい人だろうが100%好みから外れている場合もある。

そして、私を不安な気持ちにさせていることがもうひとつあった。

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