【コミカライズ】おひとりさま希望の伯爵令嬢、国王の命により不本意にも犬猿の仲の騎士と仲良くさせられています!

第10話 手を繋ぎましょう

 使用人の居室棟から少し王城側に戻ると、庭園に抜ける路がある。
 仕事終わりで王城から使用人棟へ向かうまばらな人の流れに逆らって進むラルフ様の後を追うと、その路の入口前でラルフ様が歩を止めた。

 庭園に向かうぞ、という目くばせに、何となく嫌な予感が頭をよぎる。

(この時間、きっと庭園には誰もいないわよね)

 いや、誰もいなくていいのだ。だって私たちは今から手を繋ぐ練習をするらしいのだから。誰かに見られでもしたら、絶対に変に誤解されてしまう。
 ただ、その気持ちの一方で、心の端っこの方にズキズキと痛む何かの傷がある。このまま誰もいないところでラルフ様と二人きりになって大丈夫だろうかという不安が、その傷の痛みを増幅させる。

(でもこのままラルフ様を追わずに部屋に戻れば、何だか勝負に負けたみたいで悔しいわ)

 私は、自分でも正体がよく分からないモヤモヤした心のまま、庭園に繋がる路に入った。


 庭園に入ると、ラルフ様が腕を組んで待っていた。彼に促されるままに、近くにあった長椅子に腰を降ろす。

 ――と。
 私と彼の距離は、驚くほど近い。
 いつ二人の手が触れてしまうかという緊張感に耐えられず、私は両手を自分の膝の上に重ねた。
 しばらく続いた沈黙のあと、ラルフ様が口を開く。

「俺は、ジーク国王陛下を命をかけてお守りしようと思っている」
「はい。ラルフ様のお気持ちは、よく伝わってきます。ジーク様への忠誠心が強すぎて、私に敵対心を向けるのはやめて欲しいですけどね」
「……ジーク様がまだ二歳の頃、前国王陛下ご夫妻が事故で亡くなった」

 真剣な顔で、ラルフ様は沈む夕日を眺めている。
 突然、前国王陛下の事故のことを語り始めたラルフ様の意図は分からないけれど、とりあえず私は「そうでしたね」と返事をした。

「ジーク様もまだ二歳だったから、前国王ご夫妻のことはあまり覚えていらっしゃらない。断片的に記憶があるだけで、ご夫妻が溢れんばかりの愛情を注いでいらっしゃったことも、ほとんど覚えていないと思う」
「お可哀そうに。無邪気で可愛らしいジーク様を見ていると、時々胸が詰まります」

 前国王陛下が崩御された時、原因は事故だということしか発表されなかった。ご病気などではなかったとすると、ジーク様は突然のようにご両親と会えなくなったはずだ。
 幼いジーク様はきっと、お父様お母様を探して夜ごと泣きはらしただろう。

「ジーク様をお守りしようと心に誓ったのはその時だ。必ず前国王陛下の思いを継いで、ジーク様をしっかりとお守りし、立派な君主となって頂けるようにと考えていた」
「そうだったのですね」
「だから知らず知らずのうちに、ジーク様に対して求めるものが自分の中で大きくなりすぎていたのかもしれないと気付いた」
「あ……」

(もしかして、今日の大聖堂での一件を思い出しているのかしら)

 ジーク様のお言葉遣いに対して、もっと礼儀を身に着けるべきだと厳しく叱責された。
――叱責されたのは、ジーク様じゃなく私だけど。

「本来は前国王ご夫妻から与えられるはずだった愛情を、俺たち周りの人間がもっと注いで、甘えられる環境を作ってあげた方が良かったのではないかと」
「それはそうですね。心の傷というのは、他人が見るよりももっと深いことがあります。ただでさえ国王というお立場ですもの。どこかに心の逃げ場を残しておいて差し上げるのも、臣下としての重要な務めだと思います」

 夕日を眺めていたラルフ様は私の言葉を噛みしめるように聞き、ゆっくりとこちらに振り向いた。いつもの不機嫌な顔ではなく、少し眉を下げて困ったような表情。
 自分の考えを曲げられないプライドの高い人だと思っていたけど、昼間に何気なく言った私の言葉をこんなに真剣に捉えて考えてくれていたなんて、少し意外だ。

「ジーク様を立派な君主にお育てしたいという気持ちはもちろん変わらない。だがそれと同時に、幸せになって欲しいと強く願っている。教育係が俺一人では、そのことに気付けなかったかもしれない。だから、君が来てくれて有難いと思っている……」
「口調が厳しい割に、意外とお優しいんですね。私の存在を認めて頂けたようで良かったです。それと、私たちのような政事に関わらない側近は、ジーク様を少し甘やかしてあげるくらいでちょうどいいのかもしれません」
「……そうだな。だから、ジーク様の願いはきちんと叶えてあげたいんだ」

 ん?
 まっ……まさか、それでド真面目に、手を繋ぐリハーサルをしようと思ったのかしら?! それはさすがに忠誠心が変な方向に(こじ)れすぎでは?

(しかも、それを伝えるためだけに、前置きがものすごく長かった!)

 一度深く息を吐いて目を閉じたラルフ様は、何かの意を決したようにカッと目を開く。


「マリネット、手を繋いでもいいだろうか」
「……そんなこと真剣な顔で聞かないで下さい。恥ずかしいわ」

 恥ずかしさのあまり下を向いてドレスをつかんだ私の手の甲に、大きなゴツゴツとした手がそっと添えられる。彼の指はそのまま私の指の間に滑り込み、優しく握った。
 心臓が早鐘を打ち、思わず息をすることすら忘れた私は、全身に力が入ったまま彼から目を逸らす。

「ちょっと待って……死んでしまいそうなほど恥ずかしいです。これ、何の罰ゲームですか?」
「……罰ゲームとは失礼だ。これはジーク国王陛下のご命令だぞ」
「こんなの、どう考えたって罰ゲームですよ! いくらジーク様のご命令とは言え、どうして好きでもなんでもない相手とムードたっぷりに手を繋がないといけないんですか?」

 私は半分泣きそうな顔で彼の方に振り返った。
 息をするのを忘れていたからか、酸欠で頭がクラクラする。

「仕方ないだろう。陛下からあんな風に命令されてしまっては、断ることは俺にはできんっ……さっきも言った通り、できるだけ陛下の願いは無条件に叶えてあげたいんだ」
「それは確かにそうですね。分かりました、陛下のお願いを叶えるためならば、私もラルフ様と手を繋ぐことくらい我慢してみます……」

 私たち二人は手を繋いだまま、空を茜色に染める夕日をいつまでも見つめていた。

 呼吸が上手くできていなかったのか、頭のクラクラはどんどん激しくなり、いつの間にか私の意識は段々と遠のいていった――。
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