おひとりさま希望の伯爵令嬢、国王の命により不本意にも犬猿の仲の騎士と仲良くさせられています!

第32話 御礼とお別れと

 早朝の誰もいない回廊で一人で倒れているところを、もしラルフ様以外の人に見つかっていたらと考えると、背筋がスッと冷たくなった。
 私の体質はあっと言う間に広まり、今回こそ私は体調不良を理由にジーク様の教育係を罷免になっていただろう。

 見つけてくれたのがラルフ様で良かったというべきか、それとももういっそのこと、辞めさせられた方が良かったのだろうか。

 夕方、いつもの庭園で夕日を見ながらラルフ様を待った。約束もしていないけれど、何となく今日も彼がここに来てくれる気がしたからだ。そしてその予感は的中した。

 彼は今日も、何も言わずに私の隣に座る。


「今日倒れたのは、シャドラン卿のせいか?」
「そうです。今日も私を助けてくれたと聞きました。ありがとうございました。御礼を伝えようと思って、ここでラルフ様を待っていたんです」
「シャドラン卿に何をされた?」
「……いえ、別に。普通に手の甲にキスをされただけです」
「君にとって、それは普通じゃないだろう」
「私にとっては普通でなくても、あちらは私の事情なんて知りませんから」


 するとラルフ様は私の方に向いて座り直し、眉間に皺を寄せて息を吐く。


「いいか、いつも手袋を忘れるな」
「そうですね。気を付けます」
「それと、知り合いの医者にも色々聞いたんだ。嫌な思いをしたり大きなショックを受けたりした時に、その恐怖体験が相手の目立った特徴と結び付けられてしまうことがあるらしい。君の場合はシャドラン卿が男性だったというところから、男性全般について恐怖心を抱くようになってしまったんじゃないだろうか」
「……驚きました。わざわざ調べてくださったんですか?」
「うん、まあ……。それで繰り返し繰り返し、男性は怖くないという思いを体験したり、見聞きすることで恐怖が薄れていくらしい。だから、俺のやってたことは間違いじゃなかった」
「ラルフ様のしたこと?」
「手を繋いだり、その……ハンカチ越しにだな、えっと……」
「あ! それ、口に出して言わなくて結構です!」


(また、キスの話になるところだった……)


 俺のやってたことは間違いじゃなかった、なんて。
 何だかちょっとラルフ様の頭の中もずれている。

 私がラルフ様と触れることで「男性は怖くない」って感じて安心できるとでも思ったのかしら。
 でも私は、フランツ様に婚約破棄された時に決めた。もう二度と男性のことを好きになったりしないと。

 だから、私はラルフ様のことも、好きなんかじゃない。
 フランツ様のことよりもラルフ様のことばかり頭の中で考えてしまっているのは、ラルフ様が突然あんなことをしたから動揺しているだけなのだ。

 そう自分に言い聞かせながら、私は口を開く。


「とにかく、私はラルフ様に助けて頂いた御礼を言いたかっただけですので。これからも、無理に私に接触しようとしなくて結構です。揶揄《からか》わないでください」
「揶揄ってなんかいない」
「自分でも、どうしようもないんですよ。疲れたんです。このまま私がここにいても、ジーク様のお役に立つどころかご迷惑をおかけするだけです。それに、お忙しいラルフ様を振り回すわけにもいきません」
「教育係を、辞めるのか?」
「……」
「なぜ君の方が遠慮したりする必要があるんだ? これまで何年も、必死で努力してきたんだろう? 教育係の候補者の中で、君の出した課題は一際輝いていた。ジーク様を立派な教養人にお育てしたいという強い思いが伝わってきた。俺は君に同情したわけじゃなく、君の努力や信念が教育係にふさわしいと思ったから推薦したんだ。なぜ、君の方が諦めなければならないんだ……!」


 ああ、ラルフ様は分かってくれた。
 私がただお金や安定した地位のためだけに努力してきたんじゃないこと。心から、ジーク様のお役に立ちたいという気持ちで教育係を志望していたこと。

 一緒に働く人がこうして私を認めてくれたことで、少し心が救われた。

 これで、これからも一人で生きていけそうな気がする。この数年間の私の人生は無駄じゃなかったなって思える。

 私はその場で立ち上がる。

「ラルフ様! 何だか湿っぽくなるのは嫌なので、いつも通り不機嫌でいてください! とりあえず、私はラルフ様のことは好きではありませんので、これでお別れです。短い間でしたが、お世話になりました。ジーク様やヒルデ様にもちゃんと伝えて、ご迷惑をおかけしないようにします」
「おい!」
「あ、本当に私に触らないでくださいね。もう、倒れるのにも疲れたんです」

 それじゃあ、と笑顔で告げ、私は庭園をあとにした。
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