祈りの織姫は恋をする~気弱な身代わり悪女ですが、初恋の皇太子様と婚約破棄しろと言われました~

第十七話 職人としての決意

 それからカルロはどこへ行くにもマリーのそばにいるようになった。
 移動教室に行くのもそうだし、最終的にはトイレの前まで付き添うと言い出して、さすがに羞恥心をおぼえながら「教室で待っていてください」と顔を真っ赤にして言わざるを得なかった。
 カルロの態度の豹変にクラスメイト達──特にギルアンとエセルは絶句した様子で見ていた。
 その日は放課後、カルロに旧校舎の前まで送られて、ようやく一人になれた。
 自室のベッドの上に倒れ込む。とても気疲れしてしまった。

(カルロ様、いったいどうしちゃったんだろう……)

 恋なんてよく分からないことをきっかけにヒートアップするものだ、と言われたらそれまでだが、カルロの態度が変わった理由がさっぱり分からない。

(ブローチのことは時間が経ちすぎているから関係ないだろうし……やっぱり、急に自分の気持ちに素直になりたくなっただけかしら……)

 夕食の時間までまだ時間があるから、それまで寝てしまおうと目を閉じかけたが──そこで、ミッシェルに用事があったことを思い出して起き上がる。
 机の上にあった刺繍レースの髪飾りを手に取り、女子寮に向かうことにした。

(せっかくドレスに合うように作ったから、今日のうちにミッシェルに渡しておきたいわ)

 そう思い、友人の部屋を訪ねることにしたのだ。
 マリーが女子寮の入り口にたどりついた時、どこかから女性の金切り声が聞こえた。
 声に聞き覚えがある。それほど遠い場所ではなかった。
 嫌な感覚をおぼえながら、マリーが声がした方向へ建物内を走って行くと、すでにミッシェルの部屋の前には女生徒達が集まっていた。

「ミッシェル……?」

 人垣を割るようにして室内に押し入る。必死だった。
 室内ではミッシェルが床に座り込んで号泣している。その手には引き裂かれたドレスがあった。

「……これは、いったい……」

 マリーは呆然とミッシェルと自分が作ったドレスを──無残な姿にされた布とレースを見つめる。補正具も原形をとどめていない。

「わ、わからないの……私が部屋に戻った時には、こうなっていて……部屋の鍵だってかけたから誰も入れなかったはずなのに」

 ミッシェルは泣きながら、そう言った。

(誰かが侵入してミッシェルのドレスを破いたということ……?)

「ど、どうして……こんなひどいことを……、いったい誰が……」

 マリーはつぶやいた。
 周囲の女性達は気の毒そうに顔をしかけていたが、その中で一人だけ──エセルが意地悪そうに言う。

「もしかして、ミッシェルさんが自作自演をしたのでは?」

(え……? 何を言って……)

 エセルの言葉がすぐに理解できなかった。

(ミッシェルが自分でドレスをダメにした? そんなことを何のために……)

「だって、そう考えるのが自然じゃありません? ミッシェルさんがおっしゃるには、この部屋には鍵がかかっていたそうじゃありませんの。ここは四階です。外から侵入はできませんわ。内側から鍵もかかっているようですし」

 そう言いながら、エセルは部屋にひとつだけある窓を示して見せた。確かに内側から鍵がかかっている。回して引っ掛けるだけの、よくある内鍵だ。
 窓の外には大きな木が見える。

(ベランダはないけど、木は五歩ほどしか離れていない場所にあるから、捨て身になれば木登りして部屋に飛び込むことはできるかも……?)

 そこまで考えて、マリーは飛躍しすぎている自身の考えを振り払った。
 そもそも鍵がかかっていたなら、体がぶつかったら窓が割れてしまうだろう。けれど、窓には傷ひとつないのだ。
 もしも誰かが外から侵入してドレスを引き裂いた……そしてそれを発見したミッシェルがその相手をかばうために窓の内鍵をかけた──ということなら、外部の人間のしわざと考えることもできるかもしれない。だが、やはり現実的ではないだろう。ミッシェルがそれをする意味も分からない。

(……でも、ミッシェル本人がドレスを破るなんて、もっとありえないわ。まだ誰かをかばっていると言われる方が納得できる)

 マリーはミッシェルが真摯に演技の練習もしていたことも、ドレスを受け取ってとても喜んでいたことも覚えている。あの態度が偽りとは思えなかった。

「だとしたら……ミッシェルさんが自分でしたこと。そう考えるしかないでしょう?」

 エセルの言葉に、室内が静まり返った。
 多くの人が疑いと軽蔑の眼差しをミッシェルに向けていた。
 彼女はぼろぼろと涙をこぼしながら、「私はやってないッ!!」と叫ぶ。
 その姿を見ていると、たまらなくなった。
 マリーはぐっとポケットの中にあるブローチを握りしめ、きつく目を閉じた後、勇気を振り絞ってエセルに言った。ミッシェルをかばうために。

「ミ、ミッシェルがそんなことするはずがありません……! それに……っ、そんなことをして、彼女に何の得があると言うんですか……?」

(ライラ役の衣装を無駄にしたら、ミッシェルだって舞台に立てなくなるかもしれないのに……そんなことするはずがないわ)

 エセルは小馬鹿にするように笑う。

「さて、どうかしら? さては、ライラ役をするのに自信がなくなったんじゃありません? それとも、皆に同情してほしくてやったことなのかも。そういう病気ってあると聞きますのよ。ミッシェルさんが長い間、風邪を引いていたのだって、皆に心配してほしくて仮病を使ったのかもしれませんよね?」

「そんな……っ」

 あんまりな言われようだ。
 ミッシェルがひどくショックを受けた様子で、うつむいている。
 騒ぎを聞きつけたのか、とうとう寮監のプリシラ先生がやってきた。一階の寮監室にまで声が聞こえていたのだろう。

「いったい何の騒ぎなの!? ほら、集まってないで解散しなさい」

 そうして、生徒達はちりちりに自室へと戻って行った。
 マリーも部屋に戻るようにうながされたが、寮長であることと、ドレスの制作者だということを主張して、残ることを許してもらった。
 プリシラ先生は「ドレスがこんなふうになってしまったら、もう着られないわね」と残念そうにしている。

「今回のことは職員会議にも出すわ……犯人が見つかると良いけれど」

 そう言いながらも、プリシラ先生のミッシェルを見つめる眼差しには疑惑の色がある。彼女もまた、ミッシェルを疑っているのだろう。窓も扉も鍵がかけられていたなら、犯人は鍵を持っている部屋の主のミッシェルしかいないのだから。
 プリシラ先生からも疑われて、ミッシェルは居場所がなくなったと感じたのか、瞳に生気がなくなる。感情を閉ざしてしまったのだろう。
 その姿がかつての己の姿と重なり、マリーは居てもたってもいられなくなる。だからプリシラ先生に向かって声をかけた。

「あっ……あの! プリシラ先生、その……今晩は、私、ミッシェルのそばにいても良いですか?」

 マリーの言葉に、プリシラ先生は難色をしめす。

「でも消灯時間もあるわ」

「……ミ、ミッシェルは傷ついています。誰かがそばにいた方が良いと思います。誰かが侵入したかもしれない部屋に一人でいるのは心細いはずです……。今晩は旧校舎の私の部屋で彼女を預かりたいです……」

 プリシラ先生は少し考えこむようにした後、嘆息した。

「……良いわ。マリアさんは寮長だし、適任でしょう。今晩はマリアさんの部屋で一緒に過ごしなさい。でも何かあった時の責任はあなたが取るのよ」

 そうして寮監の許可をもぎ取ることができて、マリーはホッとした。
 そしてミッシェルを連れて旧校舎に戻る前に、食堂の職員に頼んでサンドイッチとスープを二人分包んでもらった。部屋で食べるためだ。
 もしかしたらミッシェルが旧校舎におびえてしまうかもしれないと心配したが、幸い、彼女はそういうのは怖くない性格らしい。
 むしろ窓に鉄格子がはまっている旧校舎は、今だけは彼女の心を守る檻になってくれているようだ。部屋に入るとミッシェルは安堵したような表情になる。
 ランプの灯りの中、二人でベッドに座ってサンドイッチを静かに食べた。行儀が悪いが、部屋に机と椅子は一つしかないから仕方ない。
 ふいに、ミッシェルが堰を切ったようにポロポロと泣き始めてしまった。しかし声は出さない。静かに絶望した泣き方だった。

「ドレス……どうしよう……。せっかく、マリアが作ってくれたのに、あんなになっちゃって……わたし……っ、悔しい、よ」

「ミッシェル……」

 嗚咽をこぼすミッシェルの背をなだめるように撫でた。

「わたし、本当にやってないの……ッ!」

 マリーは迷いなくうなずく。

「──信じているわ。ミッシェルはやってない。そんなこと、できるはずがないもの」

 そうマリーが笑みを浮かると、ようやくミッシェルは落ち着いたのかハンカチで鼻をすする。そして、「ごめんね。ありがとう」と言った。
 しばらく、黙々とサンドイッチを食べた。
 ミッシェルは食事を終えると、ランプが灯されたほの暗い部屋を見ながら、ぽつりと言った。

「あのね……クラスの雰囲気が悪くなっちゃったし……ドレスも用意できないから、私はライラ役を辞退するつもり。せっかくドレスを作ってくれたのに、ごめんね。……でも、マリアが私のことをかばってくれて、本当に嬉しかった」

 ミッシェルは申し訳なさそうに言った。
 マリーは困惑しながら問う。

「え……でっ、でも……本当に良いの? 辞退するなんて……」

 ミッシェルは自嘲気味に口の端をゆがめた。ぎりぎり笑みの形になるように。

「……ライラ役をやりたかったんだけどね。それがお母さんの夢だったから」

「お母さんの……?」

 そう聞くと、ミッシェルはうなずく。

「うん。私のお母さんは昔、ヴァーレンの生徒だったの」

 ミッシェルの母親はヴァーレン島の対岸にあるレガロの街で育った。
 貧しい家柄だったが、頭が良かったので特待生になってヴァーレンに入学することができた。演劇部にも入っていて、ヴァーレン祭で『精霊のお姫様』のライラ役にも抜擢された。
 けれど悪い男に騙され、ヴァーレン祭が開催される前にミッシェルを身ごもり、学校を退学せざるを得なくなった。

「お母さん、勉強は得意だったけど、初心(うぶ)だったから……貴族の男性に遊ばれちゃったみたい」

 ミッシェルは悲しげに言う。
 その当時はかなり騒動になったらしい。
 相手は男爵家の三男坊で、ミッシェルの母親のことが発覚して実家からは勘当された。
 クラスの担任が仲裁に入ってくれたおかげで示談金をもらうことはできたが、ミッシェルの母親は退学を余儀なくされた。

「お母さんはそれから必死に働いて私を育ててくれたの……本当に感謝してる」

 ミッシェルの母親は娘を妊娠したことで演劇の道をあきらめた。
 もしヴァーレンに在学したままでいたら、学校推薦で有名なオペラ座に入ることもできたかもしれない。ヴァーレン祭に招待される歌劇団員に勧誘を受ける可能性だってあったというのに。

「……でも、お母さんは私が小さい頃に町のお祭りで『精霊のお姫様』のライラをやったことがあるの。私はそれを見て、『お母さんすごい』って思った。……お母さんみたいな演技がしたいと思ったの。だから必死に勉強してヴァーレンの特待生になって、ライラ役をやるんだって……お母さんをヴァーレン祭に招待するつもりだったの」

「ミッシェル……」

「私のせいでお母さんはヴァーレン祭ではライラ役をできなくなっちゃったから。せめて、そのくらいはって……もうできなくなっちゃったんだけどね」

 そうこぼして寂しそうに笑うミッシェルに、マリーは慌てて言う。

「で、でも……っ、今年できなかったとしてもヴァーレン祭は来年もあるし」

「……無理なの」

「え……?」

 ミッシェルは何かを堪えるように、きつく眉根をよせた。

「お母さん、もう長くないって……医者から言われているの」

 辺りがしんと静まり返る。
 マリーはミッシェルの言葉を脳裏で反芻した。

(もう長くない……?)

 ということは、ミッシェルの母親は余命宣告をされているのだろう。

「そん、な……」

 あまりのことに、マリーは呆然として、それ以上言葉を続けることができなかった。
 ミッシェルは目蓋を伏せて、自嘲の笑みを浮かべる。

「本当はお母さんのそばにいたかったんだけどね……『あなたは絶対に単位を落としちゃダメ。ヴァーレンを卒業しなさい』って、お母さんに言われちゃって。だから、せめてヴァーレン祭でお母さんに私の演技を見てもらいたかったの……だから、必死に練習して……っ、でも、ダメだね……。風邪なんか引いて皆に迷惑かけちゃうし。ドレスだって、もうズタズタにされちゃったもの……」

 嗚咽《おえつ》混じりに、ミッシェルはそう言った。
 マリーは胸が苦しくなる。堪えきれなかった涙が目からこぼれ落ちた。

「……ごめんなさい」

「マリア? どうして、あなたが謝るの?」

 ミッシェルは驚いたように目を見開いている。
 マリーは何も返答することができず、ただ黙って首を横に振った。

(最低だ……)

 来年もあるから良いじゃないか、なんて気安く口にしてしまうなんて。
 これまで衣装を着る人がどんな思いでそれをまとうかなんて、真剣に考えたことはなかった。
 もしかしたら、それは一度きりの願いを込めた舞台の上かもしれないのだ。
 刺繍をしたハンカチも、願いを込めて作ったドレスも、それを身に着ける人々にはそれぞれ違った人生があるというのに。

「ごめんなさい……っ」

 マリーは、ただそう謝ることしかできなかった。

(私は、ちゃんと相手に向き合って作ってなかったんだ……手を抜いて作ったものを渡すなんて、それは【職人】のやることじゃない。それはミッシェルの気持ちを踏みにじる行為なのに……)

 急に、マリーはそれを理解した。
 これまではお客に対峙することなく、スカーレットから受け取った制作依頼を深く考えずにこなしていた。だから依頼者をきちんと血の通う生きた人間として感じることができていなかったのだろう。

「ドレスは、私がなんとかするから……!」

 マリーがそうミッシェルの手を握って言うと、ミッシェルは戸惑ったような顔をする。

「え、でも……どうやって? もう一週間もないのに」

 マリーは室内を見回す。
 ミッシェルに着せたくて途中まで作っていたレースがある。補正具の針金は新たに買わねばならないだろうが、それ以外の材料はそろっていた。

「考えがあるの。ミッシェルは諦めないで練習を続けて。──必ず、本番までにドレスを用意するから」

 そう言って、マリーは力強い笑みを浮かべた。




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