祈りの織姫は恋をする~気弱な身代わり悪女ですが、初恋の皇太子様と婚約破棄しろと言われました~

第十九話 誘拐


 校門のところでエマが呼んでいた護衛三名と合流した。
 坂をくだって広場まで降りると、たくさんの露店がひしめきあっている。ちょうど市場が開かれていた時間のようで、多くの人でごった返していた。

「あ! 遊牧民の布だわ。素敵。レースもある」

 並んだ屋台のひとつに異国の織物を見つめて、マリーは目をきらめかせた。
 布やレースに使う糸は、亜麻やコットン、山羊毛、絹──高価なものだと金や銀を使ったものもある。時代や国によって縫い方や流行りのデザインが違うので、レースを見ればそれがどこの地方からやってきたのかが、だいたい分かるものだ。

「わあ、珍しい。これはマーレ地方の刺繍です。二十年ほど前のものですね」

 マリーが手に取った刺繍を見ながらそう言うと、エマと露天商がぎょっとしたような顔をした。

「マリア、そんなことまで分かるのか!?」

「すごいな、お嬢ちゃん。この道十年やっているアタシでもそこまで知らないのに……」

 自信を喪失させた露店のおばさんを見て、マリーは照れたように微笑む。
 幼い頃から娼館にやってくる商人から布や刺繍を説明されて育ったからか、マリーには裁縫に関するものには人並外れた知識があった。
 褒められ慣れていないマリーには賞賛の言葉がこそばゆい。

「ふぅん。私にはさっぱり分からないな。……マリー、何か欲しいものがあるなら買ってやるぞ。なんなら、この辺りの屋台の布と糸を買い占めるか?」

 エマが冗談なのか本気なのか分からないことを言う。
 マリーは「も、もう十分いただいているので……」と遠慮した。
 日々の生活に困らないようにとお小遣いまでもらっているのだ。
 今日はその中から支払うつもりだったが、エマはマリーが目に留めたものを全てヴァーレンに送るようロジャーに命じた。ロジャーが清算し、護衛達の手に荷物が増えていく。

「今まで妹に令嬢らしいものをプレゼントしたことがなかったからな。新鮮だよ。マリアに剣や防具ならやったことはあるのだが……」

 そんな風に言うエマは少し楽しげだった。
 マリー達は肩がぶつかりそうになる狭い市場の通りを一通り見てまわり、補正具に使う針金を購入する。
 そしてマリー達が帰ろうとした時、すぐそばで騒動が起きた。住民同士が揉み合い、殴り合いになっている。

(あの制服って、もしかしてヴァーレンの生徒……?)

「なんだぁ? あれは……」

 エマが眉をひそめ、ロジャーが「ちょっと様子を見てきます」と言って、人の輪へと向かう。
 マリーが眉をよせていた時──ふいに後ろから誰かに口元を押さえつけられ、引きよせられた。
 それに気付いたエマが叫ぶ。

「マリー!? お前! 何をするんだ!」

「動くな。この娘がどうなっても良いのか?」

 喉に冷たい物が押し当てられていた。

(ナイフ……!?)

 背後にマリーをがっちりと抱き込んでいる覆面の男が一人、そして横にも同じ格好をした屈強な男がいた。
 脂汗がにじみ、恐怖で叫びだしそうになる。しかし口元を手で押さえつけられているから、くぐもったうめき声にしかならない。

「んん~~~ッ!!」

 二人の男が刃物をちらつかせているせいで、護衛も手が出せないらしい。エマも焦ったような表情をしている。
 暴れようとしたマリーの喉にピリリとした痛みが走る。

「静かにしろ。ここで死にたいのか」

 喉がわずかに切られたのだ。
 その躊躇のなさそうな態度に、マリーは肝が冷えた。

(殺されるかもしれない……)

 その恐れから身動きが取れなくなってしまう。

「やめろ! 彼女を傷つけないでくれ!」

 エマがそう悲痛に叫ぶ。
 男達はマリーを抱えて路地裏に飛び込み、人目を縫って走り去った。
 エマや護衛達が追ってきていたが、地の利は覆面の男達の方にあるらしく、間もなくエマ達の姿は見えなくなってしまった。
 しばらく追跡者の目を誤魔化すためか、男達は色んな場所を駆け回っていた。
 マリーの四肢を縛り、さるぐつわをして大袋に入れられたかと思ったら、小麦袋のようにかつがれて階段を下りていく。

(どこまで行くつもり……?)

 不安でどうにか外の気配を探ろうとしたが、さっぱり分からない。
 気が付いたら、人けのない倉庫のような場所の前に連れてこられていた。大袋から転がるように出され、足の拘束だけ外されて歩かされる。

「ここに入れ」

 男達がきしむ音を立てる倉庫の蝶番を開けて、薄暗い空間にマリーを連れ込んだ。

(襲われる……?)

 恐怖で血の気が失せていたマリーを、男達は柱のひとつに縛り付けた。

「騒ぎ立てるんじゃないぞ」

 そう命じられて、さるぐつわを外されて、ようやく呼吸が楽にできるようになる。後ろに縛られている手首は痛かったが、先ほどよりはまだマシだ。
 男達は鍵をかけて倉庫から離れて行った。
 マリーは一人きりになって、ようやく緊張の糸が切れる。この分だと、すぐに殺されることはなさそうだ。

(どうして、さるぐつわを外していったのかしら……? 手足は拘束されたままだけど……)

 大声を出されたら困るはずなのに。
 もしかして、すぐそばに見張りがいるのだろうか? 何か異変があったらすぐに駆け付けられる距離にいるのかもしれない。それとも、周囲に人がいないから大声を出されても大丈夫だという慢心があるのか……。
 しかし覆面の男達の機嫌を損ねたら、今度は無事でいられるかの保障はないのだ。そう想像すると、マリーの大声を出す勇気が持てない。

(私、どうして連れてこられたの……?)

「……まさか、身代金目的?」

 すぐにマリーを襲おうとしなかったことを考えると、金銭目的のように思えた。
 シュトレイン伯爵家のマリアを狙っての犯行ならば、それもありえる。それとも皇太子の婚約者という立場を狙ってのことだろうか。

(でも、私は偽物だから意味ないのに……)

 血のつながりのないエマがマリーに大金を支払うなんてことはありえない……と言いたいところだが、金銭感覚が狂ったお人よしのエマならばやりかねない。それに彼女は責任感も強いのだ。カルロも性格的にマリーのことを放っておけないだろうし。

(皆に迷惑かけちゃうな……)

 こんなことなら、カルロに一緒にきてもらっていれば良かったのだろうか。そう考えていた時、倉庫の扉が開いた。
 逆光になっていて、そこに誰がいるのかがよく分からない。しかし若い男のようだった。

「だれ……?」

 マリーが目をすがめて問いかけると、青年は喜色のにじむ声を漏らした。

「マリー……会いたかった」

 その声に聞き覚えがあった。

「まさか……あなたは……」

 扉が全開にされると、マリーにも男の顔を見ることができた。
 そこにいたのは、ヴァーレンの制服をまとった青年──ギルアン・テーレンだった。
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