黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
第5章 その想いを人は愛という
 それから月日が流れた。
 私は朝の散歩も兼ねて、一人で西の塔の展望台にいた。
 この国、いや城砦ガクリュウの冬は一月から四月過ぎという。その時期は雪がこの城を包み込むそうだ。
 今は十一月。といってもまだ暖かい方で、朝でも毛布を羽織るぐらいで寒くはない。もっとも最近はダリウスの抱き枕になりつつあるので、とても温かい。

(……って、またダリウスのことを! うう……。でも最近は私が一人で起きたり、散歩に出かけても、ダリウスは何も言わなくなったのよね。やっぱり《求婚印》の影響?)

 ダリウスの想いを振り払って、降魔ノ森へと視線を向ける。
 あの森を定期的に調べたが、古びた遺跡が見受けられる程度で刀夜のいう転送装置らしきものを確認することは出来なかった。唯一の手掛かりは刀夜の残した《求婚印》だけ。しかしその印も今では薄れて、代わりにダリウスの首筋に付けた印が色鮮やかになっていく。

 いろいろ考えても答えは出なかった。とにもかくにも同胞殺しをした彼に会ったら一発殴ってやろうとは思う。それからは会ってから考える。もちろん求婚しに来るというのなら昔と同じように断るだけだ。
 もっともあの時と理由は異なるが。

(今はダリウスと約束をした皇太后役を演じるのが先だわ)

 私は気を引き締める。今日は帝都から婚約者候補たちが城砦へとやって来る日だ。
 朝から馬車の数は多く、次々に城砦を目指している。中には商人や物資などを運ぶ荷車も見うけられた。箱入り娘と思われる者もいたが、城砦まで辿り着けたのは四つの馬車のようだ。

 ダリウスは「婚約者候補が増えるのを避けたい」という理由で、昨日から魔力を意図的に城砦の外に向けて放っている。そのため魔力耐性がないと城砦にたどり着けないようになっている。
 もっともこの国境の果てである城砦ガクリュウは、頻繁に魔物が出るのだ。普通の令嬢ならそんな物騒な場所に近づくことすら無理だろう。

(まあだから城砦で働く人たち全員に、魔力耐性を増幅する魔道具を私が作る羽目になったのだけれど……)

 ふと城砦から五十メートルほど離れた距離で、白いテントなどを建てている集団がいた。ダリウスの話では商談だとか。

「ああ、こちらにいらしたのですか皇太后様!」

 私に声をかけたのは、侍女長のクララだ。長い階段を全速力で駆け上がったのだろう。わずかに呼吸が荒い。
 本当に六十を超えているのだろうかと思うほど元気である。

「ちょうど良かったわ、クララ。あの白いテント建てているのはなに? 商人ばかりのように見られるのだけれど」
「ああ、あれはキャラバンでございますよ。辺境の地などに皇国の商品や珍しいものを売っている商人連盟の方々で、毎年冬の前に食料や日用品を運んで来ているのです」
「そう。……城砦に訪れた婚約候補者たちを出迎えは問題ないかしら?」
「つつがなく。後はユヅキ様の準備のみでございます」
「ええっと……」
「当然です。さあ、みなのもの!」
「はい! お任せくださいませ!」

 展望台に現れた侍女たちは、目を輝かせながら私に歩み寄る。

(心なしか、みんな楽しそうなのだけれど!?)
「今日は磨きに磨きますわ!!」
「皇太后様、ご覚悟して下さい」
「え、ちょ……」

 私の抵抗も虚しく湯浴み、マッサージ、化粧と、ドレスアップ──させられたのだった。


 ***


 皇国の服は、どうにもレースが多く動きにくい。
 もっともドレスを着こなす機会は今までに何度もあったので、慣れてはいるのだけれど。ヒールの高い靴に、ドレスの裾が広がっていく白のマーメイドドレスに、まとめ上げた髪は真珠のアクセサリーが着飾る。化粧も程よくされ、皇太后にふさわしい装いになった。ただ胸元は少し開けており、ダリウスがつけた首筋にある《求婚印》がとても目立つ。白い蓮の紋様はまさに、彼の愛を表す象徴でもあった。

(……とはいえ、なぜに白? これ世が世ならウェディングドレスのような……)
「ユヅキ」

 着替えに出て行ったダリウスが戻ってきた。黒の軍服にマント姿に、思わず見惚れてしまう。悔しいけどカッコいい。いつもと雰囲気も違う。

 前々から体格はいいとは思っていたが、軍服を着こなすとやはり凛々しさが際立つ。思わずその佇まいに魅入ってしまった。
 普段の着崩した服装とは違い、キッチリとした身なりに、オールバックにした髪型は中々に雄々しく、戦場ならばさぞ恰好がついただろう。

(駄目。か、顔がにやけてしまう……)
「綺麗だ」
「!?」
「いつもの三割増しで目が眩みそうになる。出来ることなら、このまま式をあげたいものだがな」
「き、今日は婚約者候補が来られるのなら、挨拶しなければならないでしょう?」
「では、その後に式をあげるか?」
「ダメよ」

 冗談めいた口調で彼は告げ、私はその軽口をなんとか躱して答える。ダリウスを想う気持ちは本当だ。口には出来ないけれど。ダリウスはいつものように私を軽々と抱き上げる。もうこの流れはいつものことなので、私はなされるがまま彼の首に手を回す。

(魔導具を渡してもダリウスは私を今まで以上に溺愛する。他の女性など目もくれなかった。嬉しいけれど)
「さて、行こうか。愛しい人」

 耳元で囁くのは、反則ではないか。
「心臓が飛び出しそうになったのだけれど!?」と、思いながら睨んだ。だがダリウスは嬉しそうに微笑むばかりだ。

「ええ──。いきましょう」

「愛しい人」と心の中で呟きながら、私は頷いた。


 ***


 玉座の間。
 城砦の西と東の中間にある部屋で、ここは主に来客や式典などの行事用に設けられた広間だ。
 大理石で造られた天井や壁は職人の技巧が卓越したものだった。シンプルかつ洗練された広間は赤いカーペットが敷かれ、その玉座にダリウスは腰かける。私は玉座の背後にある隠し扉に控えていた。婚約者候補たちが入った後に皇太后として私がダリウスに手を取られて登場する、というのが今回のシナリオだ。

 ダリウス自らエスコートする姿を彼女たちに見せつけるというなんとも大胆だが、効果は十分だろう。察しのいい人間は諦めるだろうけれど、皇太后という地位に固執する者たちがそう一筋縄でいくわけもない。だからこそ手っ取り早く追い返そう作戦が発令されているのだが。

 婚約者候補たちが姿を見せる前に、ダリウスは漆黒の鎧をその身に纏い兜まで装着しているではないか。急に鎧を装着したことで、甲冑音が響く。
「な、何考えているのよ」と、私は声を潜めながらもダリウスに声をかける。

「こちらの方が威圧的で印象も悪いだろう。婚約者候補には早々にお引き取りを願いたいからな」

 兜をしているせいでやや声がこもる。私にしか聞こえないぐらいの小さな声だったが、それはやけに熱を孕んでいた。

「そうすれば、ユヅキと一緒の時間も増やせるだろう」
「またそればっかり」
「嫌か?」

 低くくぐもった声は少し傷ついたように私には聞こえた。ダリウスが困ったり、悲しそうになると胸が痛む。わざとかと思うほど、彼は私を翻弄する。

「……そういう聞き方はずるいわ」
「わざとだ」
「ダリウス!」
「ごほん、えーっ、それでは彼女たちを入場させますので」

 傍に居たカイルは咳払いをしつつ、私とダリウスとの会話に割って入った。彼はあからさまに不満そうな雰囲気だったが、私は「よくやったわ、カイル」と心の中で褒めた。

 緊張感のなかった玉座の間がピリッと張り詰めた。
 カイルは婚約者候補たちに入るように兵に指示を出す。重苦しい両扉から現れたのは四人の女性と、付き人たちだった。

(みんな顔が強張っているわね)

 それもそのはずだ。常時魔力を放出しているのは変わらないが、今朝よりは少し出力を下げている。でなければ四人とも謁見することは難しかっただろう。ダリウスはそれならそれで追い返す言い分になると言っていたが、せっかく最果ての地まで来たのだから、中途半端に追い返すよりもコテンパンに叩きのめした方がいいと提案したのだ。

(その結果、ウエディングドレス(こんな格好)をさせられるとは思わなかったけれど……)

 四人とも赤い絨毯を静かに歩き、玉座からだいぶ離れた二十メートルほどの距離を取って、傅いた。どうやら彼女たちにとって、そこが歩み寄れる限界地なのだろう。

「殿下、婚約者候補でございます」
「……」

 ダリウスは首肯するだけで、やる気ゼロだ。カイルはそれぞれ候補者たちに挨拶をする様に促す。

「前帝ダリウス様。お初にお目にかかります。レイエス公爵家より参りましたアネット=レイエスと申します」

 茶色の髪の少女は怯えと震えながらも、頭を下げて挨拶を終えた。小さくて守ってあげたくなるような可憐な令嬢という所だろうか。カイルたちが用意してくれた情報によると、この時代にも貴族制度は残っているそうだ。
 一定の行政区画の管理をするのが彼ら貴族だ。階級は以下の通りで、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵。アネットは公爵令嬢ということで貴族の中では上位。その庇護欲を掻き立てられる仕草や雰囲気、容姿は男性の好感度が高いそうだ。ダリウスは資料を見ただけで「笑顔が胡散臭すぎる。あと素は性格がねじ曲がっているな」と一蹴していた。

「グティレス伯爵家より参りましたカーラ=グティレスです。閣下にお会いできて嬉しく思っております」

 背筋を伸ばして挨拶するのは緑の髪をした少女だ。凛とした佇まいから言って騎士見習い、準騎士だろうか。ダリウスに言わせると「別に女を下に見ていないが、世の中の男はみなそう思っているという被害妄想が強い女だ。正義感が強いというよりは我が強いだけだな」と一刀両断。「とはいえ、何かを企むような不正をするよりは、正面突破するような奴だ」と言葉を付け足す。ダリウスは私が考えている以上に人を良く見ている。

「……男爵家より……参りました。……キャロル=ポウエルです」

 黒髪の地味そうな子は心底めんどくさそうと言った、どこか諦めた顔で深々と頭を下げた。髪飾りやドレスを見てもあまり質がいいものではなさそうだ。一族の為と言われて無理やり連れてこられたのだろうか。
 この子に関してダリウスは「毎年現れる贄のような形で家を追い出されたのだろうな」と呟いた後にカイルに何か指示をしていた。贄、という言葉に少々引っかかったが、込み入った話かもしれないと私は言及しなかった。

「閣下、クリスティ=オズワルドでございます」

 最後に名乗った真っ赤な髪の女性はダリウスが心底嫌そうな顔をして話した人物だ。確かに薔薇のような美しさはあるが、棘というか毒をたっぷりと持っていそうな雰囲気を纏った女性である。性格がキツいと顔に書いてあるようで分かりやすい。「傲慢で高飛車な勘違い女」とダリウスは言い切っていた。豊満な肉体、目のやり場に困る露出度の高いドレス。ここをどこだと勘違いしているのだろうか。社交会ではなく前帝の謁見の場なのだが……。

「面を上げよ」

 婚約者候補たちが顔を上げた瞬間、全員が固まっていた。
 無理もないこれから戦場に出も赴くような出で立ちに、御令嬢たちは凍り付き、そして彼女たちが思考を巡らせる前に、ダリウスは婚約者候補たちにとって絶望を口にする。

「城砦ガクリュウにようこそ。と言ってやりたいところだが、すまない。すでに妻として迎える女性と出会ったのでな。紹介しよう」
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