モテ基準真逆の異世界に来ました~あざと可愛さは通用しないらしいので、イケメン宰相様と恋のレッスンに励みます!

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「あ、えーと……」

「ここまで来てくれたんだ? 嬉しいなあ。俺のファンだろう?」

 説明しようとする私を遮って、役者が言う。近くで見ると、噂通り顔立ちは整っているものの、何だか軽薄な印象だった。喋り方も、乱暴だ。

(うわっ、イメージ崩れるし……)

 一瞬眉をひそめたくなったが、私は冷静に事情を話し始めた。

「いえ、お芝居は拝見しましたが、あなたにご用があるのではありません。私の連れが、こちらのメイクさんと約束していまして」

「連れなんて、いないじゃないか」

 役者が、口を尖らせる。どうやら、自分目当てでないとわかってムッとしたようだ。私は、慌てた。

「今、たまたまいないだけで……」

「照れてるんだろう? つまんない言い訳しなくていいって。大体、メイクならもう帰ったし」

(え!?)

 どういうことだ、と私は混乱した。アンネたちは、確かに約束したと言ったではないか。

(何かの間違いかな? 何かこの人勘違いしてるし、早く戻って来てよ……!)

 私の必死の祈りも空しく、役者はどんどん距離を詰めてくる。

「見かけない顔だよね。雰囲気も違うし、もしかして他国から来た? 何なら俺が、色々教えてあげる……」

 いきなり腰に腕を回されて、私はきゃっと悲鳴を上げた。

「止めて……」

 その時、バタンと扉が開く音がした。ハッとそちらを見て、私はぎょっとした。そこに立っていたのは、先ほどカロリーネと一緒にいた、取り巻き令嬢たちだったのだ。皆、大げさに顔をしかめている。

「まあっ。信じられませんわ、はしたない……」

「こそこそと地下へ降りて行かれたかと思ったら、役者と逢い引きだなんて」

 完全に、誤解している様子だ。私は、焦って説明した。

「違います。アンネ嬢、マリア嬢に、爪の装飾のアドバイスを頼まれたんです!」

 すると彼女らは、意外な言葉を放った。

「何を言ってるの? 私たちのような貴族令嬢が、爪に装飾なんかするわけないでしょう」

「見た所、メイクの方もいらっしゃらないようですけど?」

「第一、アンネ嬢もマリア嬢も、とっくに帰られましたわよ?」

 私は、愕然とした。

(帰った……!?)

 そこへ、役者が口を挟んだ。

「お嬢さん方、失礼を。彼女、俺のファンらしいんです。呼び出されたと思ったら、いきなり抱きついてくるんですよ。情熱的ですよねえ?」

「ちょっ……、でたらめを……」

 反論しようとして、私は気が付いた。役者の顔に浮かぶ、薄笑いを。そして、令嬢たちもまた、同じ笑みを浮かべていることに。つまりは、全員共犯ということか。アンネとマリアも。

(そして、主犯は恐らく……)

 令嬢たちは、勝手にヒートアップしていく。

「異世界の女性って、貞操観念に緩くていらっしゃるのねえ!」

「舞踏会では、猫を被ってらっしゃったのね。騙されるところでしたわ」

「これは、皆様に情報共有しないといけませんわね。ハイネマン公爵は、あなたの輿入れ先をお探しのようですけれど、一流のお家はまず無理なのではないかしら?」

 私は、ハッとした。でたらめにせよ、そんな噂が広まったりしたら。

(クリスティアン殿下の側妃どころじゃない……?)

 さらに私に追い打ちをかけたのは、ある令嬢のこの一言だった。

「これは、ハイネマン家のご評判にも関わりますわねえ!」

 私は、血の気が引いていくのを感じた。

 私が側妃になれなければ、グレゴールの努力は水の泡だ。おまけにこのままでは、彼の名誉まで貶めてしまう。アンネとマリアが私を誘った場面を、グレゴールは見ているけれど、彼が証言しても保身としか受け取られないだろう……。

(真実を、証明しなければ……)

 私は、必死に思考を巡らせた。令嬢たちをキッと見すえて、告げる。

「皆様。私は確かに、アンネ嬢、マリア嬢に爪の装飾のアドバイスを頼まれてここへ来ました。そして、この役者さんに抱きついたりはしていません。彼に抱きつかれたのです」

 言いながら私は、楽屋内をぐるりと見回した。メイク担当の物らしい化粧はさみが、目に入る。私は、それをつかんだ。

「イルディリア王国で真実を証明する手段を、私は知りません。ですが私のいた異世界では、無実なのに有罪だと疑われた人間は、こうして潔白を証明していました!」

 はさみを振りかざせば、令嬢たちも役者も、さすがに顔に動揺が走った。

「何をなさる気……?」

 もちろん、でたらめだ。でも幸い、日本の風習なんて、ここにいる誰も知らない。私は、ドレスの左袖をまくり上げた。腕を、はさみで斬り付ける。鮮血が迸った。

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