あなたしか知らない
帰国


成田空港に降り立つと、急に和食が恋しくなるのはなぜだろう。
カナダにだって、美味しいお寿司屋さんはあったしラーメンだってよく食べた。

(たった三年半くらい離れただけなのに)

大学の薬学部を卒業後、有安祐奈(ありやすゆな)は大学時代の恩師の推薦でカナダの製薬会社の臨時職員になって日本を離れた。
今では研究員として正式に採用されている。
カナダのエドモントンではひとり暮らしだったから、もちろん自炊生活だ。
日本のメーカーの調味料を買って料理していたはずなのに、祐奈は空港ロビーを歩いているうちにお醤油の味が急に食べたくなったのだ。

今日は小春日和で飛行機から見えた青空は澄みきっていたけれど、十一月に入ったばかりの東京は冬らしくなってきているはずだ。
エドモントンの厳しい寒さに比べたらずいぶん暖かい気もするが、この季節ならではの和食が山ほど浮かんでくる。
すきやき、ブリ大根、茶わん蒸し、湯豆腐、それから……。

「おでん、食べたい」

思わず口からポロリと漏れてしまった。

「え? なに? なんて言った?」

初来日になる会社の同僚ロジャー・スミスはよく聞き取れなかったのか、祐奈の顔を前かがみになって覗いてきた。
カナダで暮らし始めてから七センチのハイヒールを履くようになったが、それで身長が百六十センチを超えるくらいの祐奈だ。
ハイヒールで武装しても、まだ彼の方が祐奈よりかなり背が高い。

「おでんが食べたいって言ったのよ」
「なにそれ? 聞いたことない」
「あったかくて、ジューシーなのにプリプリしてて」

祐奈はなんとかおでんの魅力を伝えようとするのだが、ロジャーはお手上げといった表情をする。

「ますますわかんない」

味のしみた大根やこんにゃくの歯ざわりを思い出すと、もういけない。
たまごやはんぺんやちくわ……イメージが膨らんできて、食べたくてたまらなくなってきた。
学生時代に食べた京都の山科にあったおでんの店は今もあるだろうか。


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