あなたしか知らない
そして、始まる



***



久しぶりに日本に帰ってきて、ホテルに落ち着いた翌日から祐奈の仕事は始まった。
祐奈とロジャーが日本で働くのは『K&T』という製薬会社だ。
もとは長野県の諏訪市にある山崎製薬の傘下にあったが、新薬の開発に力を入れるためにひとり立ちしたばかりの若い会社だ。
ここでは自分で新薬の計画をたてて研究するというのだから、これまでの大企業での開発に比べてスピード感がまったく違う。

今回の仕事は、祐奈が勤めるカナダの会社と契約を結び共同で皮膚炎の薬の治験をするというものだ。
エドモントンの大学での研究が元になっているから、祐奈たちも臨床研究を手伝う予定だ。

まず都内にある事務所で担当者同士での打ち合わせがあった。
その時に紹介されたのは、上司やロジャーたちが見とれるくらい美しい女性だった。

白石瑠佳(しらいしるか)と申します」

祐奈たちより十歳ほど年上なのに、左手の指輪を見て既婚者だとわかるくらい初々しい雰囲気の人だった。
もともとは大手製薬会社の薬剤師だったそうだが、山崎製薬の研究室を経て『R&T』の開発リーダーに就任したらしい。
同じ女性でもこんな活躍をしている人がいると知って、祐奈もがぜんやる気が出てきた。
目標が持てたことで、日本に帰ってきたことへの迷いは消えていた。

何日か細かい打ち合わせを重ねたあと、最終確認が終わった上司はカナダに戻った。
祐奈とロジャーは臨床研究がスタートする前にホテルからマンションへ移ることになった。
『R&T』が準備してくれたのは、研究室にも近いし都心までも交通の便のいい場所だった。

「明日と明後日はやっとお休みだねえ」

引っ越しともいえない簡単な荷解き作業が終わったあと、ロジャーが祐奈に声をかけてきた。
来日してから慌しかったし、やっと緊張がとれたのかのんびりとした口調だ。

「お疲れさま。日本に来てからゆっくりできなかったからね」
「ユナは連休はどうするの?」

ロジャーは遊園地にでも行きたいのか、ソワソワしている。

「チョッと出かけてくるよ」
「ひとりで?」
「もちろん」
「じゃあ、ボクは秋葉原にでも行ってこようかな」

プーッと頬を膨らませながらロジャーは言うが、秋葉原は彼にとってあこがれの場所のはずだ。

「楽しんできてね」

祐奈は久しぶりに京都へ行って、母のお墓参りをしようと決めていたのだ。
三年ぶりに、広宗にも連絡を入れてみた。

『ご無沙汰しております。帰国しましたので、週末は母の墓参りに行こうと思います』

この短いメッセージなら、誰に見られても大丈夫だろう。

すぐに返信がきて、松浦家の菩提寺で待ち合わせすることになった。







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