粉雪舞う白い世界で
本当の気持ちを隠したままで
私は絶望に打ちひしがれながら、凌とコユキの匂いがする家へ帰った。

コユキがケージの中でピピっと嬉しそうに鳴いた。

私はその鳴き声を聞きながら、ぼんやりと椅子に座りこんだ。

どれくらいの間、そうしていただろう。

ふいに私は自分がしなければならないことを思い出し、ハッとした。

私は一刻も早く、この家を出なければならない。

ママが行動を起こすより前に早く・・・。

時計の針はもう夕方の6時を指し示していた。

今夜、凌は得意先の担当者と打ち合わせがあって、少し遅く帰ると言っていた。

凌の顔を見たら、私は決心が鈍ってしまう。

凌の優しさに甘えて、その結果、凌の人生を壊してしまう。

そんなの、耐えられない。

私は凌が帰ってくる前に、この家を出る決心をした。

大きなスポーツバッグに最低限の衣服と身の回りのもの、残高の少ない自分の貯金通帳を詰め込んだ。

そして大急ぎで凌の為に夕飯を作った。

野菜を切り、豚肉と一緒に炒め、甘口のルーでカレーを作った。

レタスとトマトでサラダも作った。

これが凌の為に作る最後の食事。



そして凌宛に手紙を書いた。

凌に私の想いの全部が伝わるように、心を込めて書いた。



『凌へ



凌と初めて出会ったのは、今から一年前の粉雪が降る寒い日だったね。

凌は私が配るチラシを貰ってくれて、私を指名までしてくれた。

とっても嬉しかった。

そしてストーカーに怯える私を守ってくれた。

ひとりぼっちだった私に手を差し伸べてくれた凌は、私にとって神様みたいな存在だった。

一緒に暮らし始めて、凌の色んなことを知れた。

寝癖がすごいこと、子犬とその飼い主がお別れをする映画を観て泣いちゃう涙もろいところ、甘いカレーが好きなとこ、美味しいものは必ず私に半分くれる優しいところ。

凌と暮らした日々の全てが私にとって宝物だよ。



私、知ってる。

凌がどれだけ自分の身を削って、私を自由にしてくれたのかを。

私の自由は全部凌のお陰だよ。

私、そのこと、一生忘れない。



凌とはもう暮らせません。

もう会えません。

私といることで凌は不幸になる。

ママは私が幸せになることを絶対に許してくれない。

ママは私と一緒にいる凌の幸せまで壊そうとする。

自分が不幸なのは我慢できるけど、凌が不幸になるのは絶対に嫌。

それだけは許せない。

私のママは悪魔なの。

私は悪魔の娘。

悪魔の呪いがかけられている。

でも私はママを捨てることができない。

ママと縁を切ることができない。

こんなママでも実の親子だから。

血が繋がっているから。

育ててもらった恩があるから。



凌、今までありがとう。

ありがとうって何回言っても足りないくらい感謝してます。

凌と出会えて良かった。

凌と出会えたのは私の人生の中で一番の幸せだよ。

凌と一緒に暮らせた日々はまるで夢の中にいるみたいだったよ。

それは私にとって奇跡みたいなものだったよ。



私は絶対に死なないから心配しないで。

どこかで元気に暮らすから。

粉雪が舞い散るどこかの街で暮らすから。



私のこと、早く忘れてね。

私より可愛い誰かをみつけて、絶対に幸せになってね。

あと、コユキのお世話もお願いね。



私も凌のこと、忘れるね。

忘れたくないけど、忘れるね。



でも本当は凌とずっと一緒にいたかったな。

凌と幸せになりたかったな。


凌、元気でいてね。

約束だよ。





さようなら。



伊織』




私は便箋に書いた手紙を丁寧に折り畳み、封筒の中へ入れた。

そしてその便箋を再び取り出し、自分で読み返した。



馬鹿みたい。

こんな手紙書いたって、凌を困らせるだけだ。

こんな未練がましい手紙なんて置いていったら、きっと優しい凌の未来をしばってしまう。

私のことなんて凌にどう思われてもいい、嫌われてもかまわない。

ただ凌を守れさえすればそれでいい。

こんな手紙、破って捨ててしまおう。

私は便箋を掴み、ふたつに破ろうとした。

でも、どうしても破ることが出来なかった。

だってこれは私の本当の想いだから。

この気持ちを捨てることなんて出来っこないから。

私は便箋を封筒の中に入れ、その封筒をスポーツバッグの外ポケットに深く押し込んだ。

二人の思い出が詰まった部屋を見渡した。

凌のお気に入りの焦げ茶のカーテンも、お揃いのコップが飾られた食器棚も、全部さよなら。

最後に、ケージの中の止まり木にちょこんと座っているコユキに話しかけた。

「コユキ。凌をよろしくね。コユキ。元気でね。凌を困らせちゃ駄目だよ。お利口さんでいるんだよ。」

するとコユキは私にこう喋った。



「リョウ。スキダヨ。ダイスキダヨ。」

「リョウ。スキダヨ。ダイスキダヨ。」



「うっうっ・・・凌・・・凌・・・離れたくないよ・・・」



このコユキの声は私の本当の気持ちだ。

ぬぐってもぬぐっても涙が溢れて止まらなかった。



私は最後の気力を振り絞って、凌のラインにメッセージを送った。

そして凌の全ての連絡先を消去した。



(凌。ゴメン。私、他に好きな人が出来ちゃった。

正直、凌との生活に飽きちゃったんだよね。

借金も無くなったことだし、これから自由気ままに生きることに決めたんだ。

今までありがとね。

バイバイ。

伊織より)
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