重愛注意】拾われバニーガールはヤンデレ社長の最愛の秘書になりました 3

俺に香澄を愛する権利をくれ

 ポトッと頬に落ちた雫の熱さに、香澄は瞬きをする。

 ――この人、私のために泣いてくれてるの?

 自分など無価値なのだと思い込んできた香澄の心に、そのひとしずくは大きな波紋を生んだ。

 ヘーゼルの瞳を見つめたまま、香澄は震える手で彼の頬に触れる。
 指先に乗った雫を不思議そうに見て、彼の涙を味わった。

「……愛したいんだ」

 佑はまだ微かに震える声で、それでも微笑みかけてくる。

「俺に、香澄を愛する権利をくれ」

 愛しく、切なげな顔で微笑み、佑は指先で香澄の顔の輪郭を辿ってきた。
 たまご型の輪郭をなぞって、親指で赤い唇に触れる。

「……権利なんて……。私は、佑さんのものだよ?」

 囁くような香澄の声に、彼は切なく笑った。

「香澄はまだ、俺をすべて受け入れてくれていない」

 否定され、とっさに謝ろうとした彼女の唇を、佑が指で押さえてくる。

「謝らないで。香澄の心の傷は、クレバスのように深くて大きい。俺の愛はまだ、クレバスの表面を塞ごうとしているに過ぎないんだ。俺が香澄に色んな体験をさせても、美味い物を食べさせても、高価な物をあげても、そんなものは香澄の傷を塞ぐのに大した意味は持たないと分かっている」

 香澄はフルフルと首を横に振る。
 佑にはこれ以上ないほどのものをもらっているのに、それを大した事がないだなんて言いたくない。

 愛していなければ、金だって掛けないはずだ。
 佑が忙しい人なのは分かっているし、時間を金で買うやり方をしているのも、効率上理解している。

 彼は彼のできるすべてで、香澄を愛してくれている。
 それを、佑自身が「大した事ではない」と否定していた。

「違う……」

 彼のように素晴らしい人に自分を否定してほしくなくて、香澄は顔を歪める。

「香澄、今なにがしたい? 俺に何をしてほしい?」

 けれど両手で頬を挟まれ、綺麗な瞳に見つめられ微笑まれて、目を瞬かせた。

「『こうしたら喜ぶだろう』と思って香澄の幸せを決めつけるのはやめる。だから今、香澄がしてほしい事をすべてしてあげたい」

「~~~~っ」

 こみ上げた涙を堪えきれず、香澄は両腕で佑に抱きついた。

「――――愛されたいっ……、のっ」

 涙で歪んだ声で訴えると、佑が「うん」と返事をして抱き締め返してくれた。

「ごめんね……っ。佑さん、たくさん愛してくれてるのに、お金も、忙しいのに時間もかけてくれてるのに、私……っ、足りないって思ってるんじゃなくて……っ」

 口をついて出た「愛されたい」という言葉が誤解にならないよう、香澄は必死に訴える。

「うん、分かってるよ。香澄のそれが我が儘じゃないという事は、説明されなくても分かってる」

 ポンポン、と頭を撫で、佑が優しく囁く。

「うぅ……っ」

 歯を食いしばり、香澄は懸命に嗚咽を堪える。

 自分の心は、まるで荒野のようだ。

 佑の愛という慈雨がたっぷり降っても、荒野は次から次に雨を吸って「まだ足りない」と言う。
 優しく温かい感情を求めているのに、痛めつけられて乾ききった香澄の心は、一時的な愛や優しさでは癒やされない。

 求めて、求めて、渇く。

 佑と出会って彼にこの上なく愛されているのに、香澄は彼の愛を「もっと」と欲していた。

 近付かれれば怖くなって逃げるくせに、少し離れると寂しくなって佑を求めてしまう。

 表面上は普通に人との距離を測れて、誰とでも当たり障りなく接する事ができる。
 だが香澄は今までずっと、家族にすら自分の本性を明かしていなかった。

 唯一、麻衣にだけ酒を飲みながら少し語った事がある。
 このような渇きと恐れがあるから、自分には一生まともな恋ができない気がする……と。

 誰にも自分の本性を明かさず、〝聞き分けのいい、扱いやすい赤松さん〟を演じていくつもりだったのに――。

 ――この人を好きになってしまった。

 思いきり佑を抱き締めながら、香澄は「ひぃ……っ」と喉を震わせて息を吸った。

 涙が次から次に零れて、止まってくれない。

 香澄はひた隠しにしていたものを、佑は優しく暴き、その上で「そのままでいいよ」と笑ってくれている。
 誰もが恋人になりたい、結婚したいと望む素晴らしい男性なのに、なぜか佑は香澄を選び、心の奥底にある重たいものを「半分持つ」と言ってくれていた。

 それが嬉しくて、けれどいまだ半分信じられなくて。

 人を愛するというごくシンプルな事を、香澄がいまだできていない理由がそれだった。

「俺はね、香澄が〝何〟であってもいいんだ。今のまま、優しくて明るい、感じのいい女性。それでも嬉しいし、心の底にどんな過去や感情を秘めていても、それごと受け入れるつもりだよ。上辺だけの綺麗な部分だけ好きになった訳じゃないんだ」

「ふ……っ、う、――うぅっ」

 最初から香澄の闇を知っていた訳ではないだろうに、佑はそんな事を言う。

「三十二歳って言ったら、香澄から見れば年上で落ち着いた大人の男に見えるのだと思う。でも経営者として、大勢いる〝大人〟から見ればまだまだ若造だ。政財界の大物と会うたびに、自分の器の小ささを感じる。香澄が考えもつかない、人の汚い部分を何度も見てきた。香澄が知ったら『ひどい!』と憤慨する事を、平気でする人たちを知っているよ」

 お互いの体温をわかちあったまま、佑は穏やかな声で続ける。


「〝社員にとって良い経営者〟〝世間から憧れられるホワイト企業の社長〟でありたいと願っている。でも人と対峙する時はすぐにその人の姿勢や呼吸、目の動かし方から、どの程度の人間なのか推測してしまう。そうやってすぐに人の価値を決めて、流れ作業のように毎日人と会って仕事をしてるんだ」

「それは……、立場上、仕方ないし……」

 涙で揺れる声でフォローしたが、ポンポンと優しく頭を撫でられただけだった。

「うん、分かってる。でも俺はこうやって、人としての心をどこかに置いたまま仕事をこなしているんだ。いちいち相手に情けを掛けていたら、億、兆の金を動かせない」

 それは理解できると思い、香澄は一つ頷く。

「……だから、俺も欠陥人間なんだ。香澄だけじゃない。人は誰しも闇を抱えているし、傷を補って何とか、人と上手くやりながら生きている。香澄が香澄だけの傷を抱えた、特別な人なのは変わりない。別の視点で言えば、原西さんもああなる理由がどこかにあったんだろう。家庭環境とか、生い立ちとか」

「……うん」

 少し冷静になり、軽薄とも言える健二の性格は、普通の温かな家庭ではまず培われないもののような気がした。

「真実は分からない。でも、今後俺たちは一切原西さんには関わらない。関わって知って、彼が改心して香澄に謝る事も期待しない。彼に謝られても、香澄が負った心の傷は消えないからだ」

「うん。私も、関わりたくない。謝ってほしくもない。ただ、もう、顔を見たくない。忘れたい」

 それよりも、佑と一緒にいる時間を大切にし、もっと幸せな記憶を積み重ねていきたい。

 復讐を願ってしまう気持ちがない訳ではないが、これからも健二の事を考えるのだと思うだけで、気が滅入ってしまう。
 彼は香澄にだけ特別にああいう振る舞いをしたのではなく、恐らく様々な女性に対して同じような言動、行動を取っているのだろう。

 因果応報という言葉もあるし、いつか罰が当たると思っている。
 その果てに、いつか健二が改心したのなら、それはそれで万々歳だ。

「色んな人の人生に、背景がある。でも俺は、自分が深く関わると決めた人にだけ心を開いて、時間をかけて丁寧に接していきたい。そのための覚悟ならあるんだ。だから、香澄が〝どう〟であっても受け入れたい」

「……うん」

 指で涙を拭い、香澄は頷く。

「まだ若いと思っていても、あっという間に時間が過ぎて、俺はすぐに四十代になるだろう。その間に、家族の問題や会社のステップアップ、何より俺と香澄の関係や新しく築く家庭。原西さん以外に大切にしなければいけない事が沢山ある。人生なんてあっという間だ。〝この人〟と大切にする人を決めたら、その人に時間と愛情を注いで、他は無視する」

「うん、私もそう思ってる」

 少しずつ、勇気が持ててきた。

 今まで足元に纏わり付いていたトラウマを、大切に持ち続けている必要などない。
 振り向いて過去を気にしても、過去は変わってくれない。

 前を向けば佑がいて、笑顔で「どこに行こう?」と素晴らしい場所を提示してくれる。

「言っておくけど、俺は原西さんなんて比べものにならないぐらい、いい男だよ? 香澄だけを見て、大切にする。……だから、他のどうでもいい存在なんて、心の中に残しておくだけ時間の無駄だ。もっと、楽しくて幸せな事をしよう」

 佑の声が、さらなる勇気をくれる。
 ずっと閉ざされていた香澄の心に、佑によって光がもたらされる。

(私が、顔を上げて前を向いて、望めば……なんだって叶う)

「香澄、俺を選んで。俺の手を取って。俺に君を愛させてほしい」

 ずっと抱き締めてくれていた佑が、顔を離し優しく微笑んでくる。

「香澄の心を、俺が満たしたい。原西さんがつけた傷ではなく、俺が捧げる愛で、香澄の心を一杯にしたいんだ」

「……はい……っ。……ありがとう……」

 ようやく、佑の言っていた言葉を理解できた。

『俺に香澄を愛する権利をくれ』

 あれは、香澄がまだよそを向いていたから言われた言葉だ。
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