甘く奪って、離さない

15話


15話―First love―


〇 まりなの自宅

高校が夏休みに入り、三年生で受験生のまりなは勉強を頑張っている。

まりなの家に遊びに来ている晴史はまりなに相手にしてもらえず、拗ねたようにスマホをいじっていた。


まりな「うーん、難しい……」


数式を解きながら頭を悩ませるまりな。


晴史「どれ?」


スマホを床に放りなげた晴史がまりなの隣にぴったりとくっついて問題集を覗き込んだ。


まりな「晴史くん、暑いんだけど」


季節は夏真っ盛り。

エアコンと扇風機で部屋を涼しくしているけれどそれでも暑い。こうして体を密着させられると余計に暑さを感じた。

けれど晴史はまりなにぴったりとくっついたまま離れようとしない。


晴史「これ、ここが違うから答えが出ないんだよ」


晴史はまりなの手からシャーペンを取り、ノートにすらすらと数式を書いていく。


晴史「ほら」

まりな「あ、本当だ。できた」


晴史の解答と問題集の答えを照らし合わせるとぴったりと合っていた。


まりな「やっぱり頭いいね晴史くん」


まりな(学年一位だもんね)
   (普段勉強しているようには見えないのになぁ)


まりな「晴史くんは来年受験生だよね。もう進路とか決めてるの?」

晴史「いや、まだぜんぜん。まりな先輩と同じ大学にしようかな」

まりな「私が狙ってるのは女子大だよ」

晴史「あー、そうだっけ。じゃあダメか」


残念そうにため息を吐く晴史。


まりな「本当は高校出たら就職しようと思ってたんだけどね」


金銭的にもその方が母の負担にならないと思っていた。本音では大学に行きたくて勉強を頑張ってはいたけれど、進学は諦めて就職を選ぼうとしたのだ。けれど……。


晴史「よかったよね。お母さんの再婚相手がいい人で」

まりな「うん」


〇(回想)晴史と付き合うようになった数日後

まりな母「まりちゃん! お母さん再婚することにしたの」

自宅のリビングで珍しく一緒に夕食を取っているときに母からそんな報告を受けた。

相手は母が以前から付き合っていた男性で、まりな母とまりなと家族になって生活などを支えていきたいと言ってくれたのだそうだ。

まりなの進学については母は昔からコツコツとお金を貯めていたらしいが、それにプラスして再婚相手の男性も大学進学資金を援助してくれることになった。

〇(回想終了)


まりな「晴史くんは将来お父さんの会社を手伝うの?」

晴史「まぁ一応その予定。兄貴ふたりが継がないから俺が継いであげようかなって」

まりな「偉いね」


優しく微笑んだまりなに顔を近付けて晴史は自然に唇を重ねた。すぐに離れたものの不意打ちのキスにまりなの頬が赤く染まる。


まりな「するときは言ってよ」

晴史「これからキスしますって? 普通言わないよそんなこと」


晴史がクスッと笑う。


晴史「したいときにすればいいんだよ。だからまりな先輩も俺にキスしたくなったらいつでもどうぞ」


晴史はまりなの頬に手を添えると親指の腹でまりなの唇を優しく撫でる。


晴史「今してもいいよ?」


ドキッと心臓が跳ねたまりなは晴史の手をそっと振り払った。


まりな「勉強するから」


再び問題集を解き始める。

けれど晴史が後ろからまりなのお腹に腕を回して背中にぴったりとくっついてきた。


晴史「まりな先輩。勉強を頑張るのはいいことだけど、たまには息抜きも大事だと思わない?」


確かにそうかもしれないとまりなは思った。

最近は朝から晩まで勉強漬けで正直に言うと疲れている。


まりな(息抜きかぁ……)



〇 神社(数日後、夜)

ふたりは高校の近くにある神社に向かった。毎年恒例の夏祭りが開かれているのだ。

境内にはたくさんの屋台が並んでいて、浴衣や甚平を着た小さな子供から大人まで幅広い年齢の人たちで溢れている。


まりな「浴衣着たの久しぶり」

晴史「似合ってるよ、かわいい」

まりな「……ありがと」


思わず照れてしまうまりな。


〇(回想)一時間ほど前、晴史の自宅

夏祭りに行く前に晴史の自宅に連れてこられたまりな。

晴史母により浴衣に着替えさせられ、髪型もセットしてもらい、メイクもしてもらった。


晴史母「きゃ~!かわいい!とっても似合うわよまりなちゃん」

まりな「ありがとうございます」


照れてしまうまりな。


晴史母「晴ちゃんも着る?」

晴史「俺はパス」


晴史は私服だ。

〇(回想終了)


まりな「晴史くんも着ればよかったのに。見たかったなぁ」

晴史「来年ね」


当たり前のように来年もまた一緒に夏祭りに行く約束をしながら、晴史は指を絡めてまりなと手を繋いだ。

その後、ふたりはヨーヨー釣りや射的、輪投げなどを楽しみ、リンゴ飴やたこ焼きなどを食べて夏祭りを満喫。

近くの河川敷で花火が打ち上がる予定なので、それまで境内をぶらぶらと歩いていると、うずくまって泣いている浴衣姿の五歳くらいの女の子を見つけた。

まりなが迷わずに駆け寄り声を掛ける。


まりな「どうしたの?」

女の子「パパとママとはぐれちゃったの」


どうやら迷子のようだ。晴史も近付いてくる。


まりな「晴史くん、この子迷子みたい」


晴史は女の子と目線が合うようにしゃがんだ。


晴史「名前は?」

女の子「あおい」

晴史「あおいちゃんね。一緒にパパとママ捜そうか」


まりなと晴史はあおいの両親を捜すことにした。

泣いていて歩けそうにないあおいを晴史が軽々と持ち上げて抱っこする。


まりな「どの辺ではぐれちゃったのかな。きっとあおいちゃんの両親も捜してるよね」

晴史「そうだとするとあまり歩き回らない方がいいかも」


まりなは晴史に抱っこされているあおいをちらっと見た。そして先ほど屋台で買ったばかりのスーパーボールをひとつ手渡す。


まりな「あおいちゃん見て。このスーパーボールきらきらしてるんだよ」


透明なスーパーボールの中にはきらきらした星形のラメが入っている。あおいはそれが気に入ったようで、泣き止むとスーパーボールを見つめる。


まりな「あおいちゃんにあげる」

あおい「いいの?」


まりなはあおいの手にスーパーボールを握らせた。ようやくあおいに笑顔が戻る。

そのとき、どこからか男性の声で「あおいー」と呼ぶのが聞こえた。


あおい「パパとママだ」


あおいが指差した先にいるのがあおいの両親らしい。ふたりはあおいを見るなり慌てて掛けよってきた。


あおいパパ「よかった、あおい。やっと見つけた」

あおいママ「ごめんね、あおいちゃん」


晴史は抱っこしているあおいを下ろした。あおいは両親にぎゅっと抱き着くと、手で握っているスーパーボールをふたりに見せる。


あおい「パパママ見て。このきらきらのボールお姉ちゃんがくれたの」


あおいの両親の視線がまりなと晴史に向かった。


あおいパパ「あおいと一緒にいてくださったんですか」

まりな「ご両親とはぐれちゃって泣いていたので」

あおいママ「ありがとうございます」


あおいママが頭を下げると、あおいパパも「ありがとうございます」と頭を下げた。


まりな「無事に見つかってよかったです」


あおいと両親とはここで別れて、まりなと晴史は再び境内を歩く。

時刻は午後七時半。もうすぐ花火が打ち上がる時間だ。


まりな「そういえば私、子供の頃にもこの場所で泣いている女の子に声を掛けたことがあったかも」


ぼんやりと覚えていた記憶が、あのときと似たような出来事のあとだからか以前よりも鮮明に思い出すことができる。


まりな「小学校四年生の頃かな。ここによく猫がいて学校の帰りに立ち寄って遊んでたんだよね。その日もここに来たんだけど――」


〇(回想)まりな小学四年生

境内で猫を撫でたり、猫じゃらしに似た草で猫と遊んだりしていると、少し離れた場所でドスンという物音が聞こえた。

その音にびっくりして猫が逃げてしまう。

なんだろうと不思議に思ったまりなは音がした方に向かうと、神社の建物の裏でランドセルを背負った数人の男の子が同じ歳くらいの女の子を取り囲んでいじめていた。

大粒の涙をこぼして泣いている女の子を見たまりなはとっさに体が動いて駆け寄る。女の子を守るように両手を広げて男の子たちの前にたちはだかった。


まりな「やめなよ。どうしてこんなことするの」

男の子1「うるせぇ。あっち行け」

まりな「お前らがあっち行けー!」


背負っていたランドセルを肩から外してぶんぶんと振り回すまりな。


男の子1「うわっ、こいつやべぇ」

男の子2「行こうぜ」


ビビった男の子たちが足早に逃げていく。


まりな「もうこんなことしちゃダメだからねー」


男の子たちの背中に向かって叫ぶまりな。彼らの姿が見えなくなると、腰に手を当ててふぅっと息を吐き出した。

それからイジメられていた女の子を振り返る。


まりな「大丈夫?」


女の子は男の子たちに付き飛ばされて転んでしまったのだろう。頬に土がついて汚れている。


まりな「ちょっと待っててね」


まりなはスカートのポケットからハンカチを取り出して、女の子の頬に当てて土を優しく拭き取った。


まりな「取れたよ」


女の子は自分よりも体格の大きな男の子たちにいじめられてこわかったのか目に涙をためている。


女の子「あ、ありがとう……」

まりな「どういたしまして」


小さな声でお礼を口にした女の子にまりなはにっこりと微笑む。

そんなまりなの笑顔にすっかり心を奪われた女の子は涙のたまった目でまりなのことを見つめ返した。その視線がまりなのハンカチに向かう。


女の子「……汚れちゃった」


女の子の頬についた土を拭き取ったせいだろう。ハンカチが汚れてしまっている。


まりな「大丈夫だよ、気にしないで」


そう答えたけれど、女の子がまりなの手からハンカチを取った。


女の子「ちゃんと洗って返したい」


まりなのハンカチをギュっと握りしめて真剣な目で言われてしまい、まりなはフッと微笑んだ。

〇(回想終了)


まりな「そういえばハンカチ戻ってこなかったなぁ」


境内を人の少ない方に向かって歩きながらまりなはそんな子供の頃のエピソードを晴史に話した。当時のことを思い出して自然と笑顔を浮かべる。


晴史「――ごめん、ずっと俺が持ってた」


黙ってまりなの話を聞いていた晴史がふとそんなことを口にする。


晴史「何度も返そうと思ったんだけど、声を掛ける勇気が出なくて……」


立ち止まって晴史を見つめるまりな。晴史が足を止めてズボンのポケットから取り出したのはあのときまりなが女の子に渡したハンカチだ。


まりな「どうして晴史くんが……」

晴史「あのときの子は俺だよ、まりな先輩」

まりな「えっ……。でも女の子――あっ」


まりなは目を丸くさせる。以前、晴史の実家で見せてもらった子供の頃の晴史の写真を思い出した。

小柄で色白で女の子のようにかわいらしい見た目をしていた。


まりな(あのときの子が晴史くん⁉)


驚きから言葉が出ないまりな。


晴史「やっと思い出してくれた」


晴史が笑う。


晴史「返すの遅くなってごめん。ハンカチありがとう」


まりなは晴史からハンカチを受け取った。そこにはまりなの母の字で〝ゆきむらまりな〟と名前が書かれている。確かにまりなのハンカチだ。懐かしくてきゅっと握り締めた。


晴史「俺、子供の頃は引っ込み思案で気が弱くてさ。おまけに人見知りの泣き虫。色白で背も低かったし、母親の趣味で女の子みたいな服着せられてたからクラスの男子によくからかわれてイジメられてた」


淡々と話し始める晴史。


晴史「クラスのみんなは見て見ぬふりで誰も俺の味方をしてくれなかった。でも、たまたまあの場にいたまりな先輩は俺を助けてくれた。あの日からまりな先輩は俺の憧れの人になった――」


当時の晴史は小学三年生。

まりなが同じ小学校の一学年上のクラスに在籍しているとわかると、校内ではいつもまりなの姿を捜すようになった。

休み時間に友達に囲まれてドッチボールをしているところを陰からこっそりと見ていたり、友達と楽しそうに話をしながら下校している後ろ姿をこっそりと追いかけたり。


晴史「ハンカチを返そうと思ったけど声を掛ける勇気が出なくて。その翌年には引っ越して小学校が変わったから、結局まりな先輩には一度も声を掛けられなかった。それをずっと後悔してた――」


それ以降、晴史がまりなに会うことはなかった。

月日は流れ、小学校高学年頃になると色白で背が低く女の子のような見た目だった晴史はぐんぐんと背が伸びて、女の子みたいだとはもう言われなくなった。

中学生になると近所でも有名な美男子に成長。その頃から同級生、後輩、先輩の女子から次々と告白されるようになり、断り切れずに交際をすることに。

でも誰のことも本気で好きになれず、すぐに別れては別の彼女ができて、また別れて……。そんなことを繰り返しているうちに『女癖が悪い』と噂をされるようになってしまったし、晴史もそういったあっさりとした関係の方が楽だと思うようになっていた。

高校生になると年上の大人の女性とも遊び始め、同時にふたりと付き合うなど、ただの噂でしかなかった女癖の悪さが本物になって悪化していた。

そんなとき、まりなと再会したのだ。


晴史「だからあの日、奇跡が起きたと思った。初めて会ったときと同じようにまりな先輩が俺にハンカチを渡してくれたから。今度こそ初恋の人に自分の気持ちを伝えようって思った」

まりな「初恋?」

晴史「そう。俺の初恋はまりな先輩だから」


そのとき、河川敷の方向から花火が打ち上がり、真っ暗な夜空に大輪が咲いた。

近くにいる人たちから「わぁ~」「きれい~」と歓声が上がる。花火は次々と打ち上がり、晴史の視線がそちらに向かった。


晴史「ここからよく見えるね」


そう呟いた晴史の横顔を見つめるまりな。


まりな(知らなかった)
   (私のことをからかって好きだとか付き合ってとか言ってるんだと思ってたから相手にしなかったのに)
   (そんなに前から私のこと……)


まりなは晴史のことが愛おしくてたまらなくなった。


まりな「晴史くん」


晴史の腕を掴んで引っ張ると、まりなは精一杯背伸びをして晴史の頬にそっと口付ける。すぐに離すと、驚いたような顔をする晴史と目が合った。


晴史「まりな先輩……」

まりな「晴史くんにキスしたいって思ったからしたよ」


その言葉に晴史が優しく目を細めて微笑む。


晴史「それならこっちがいい」


晴史は高い背を屈めてまりなに顔を近付けていく。お互いの唇が触れそうになったとき、どこからか賑やかな声が聞こえてきた。


真琴「あ、晴史見っけた」

凛花「まりなさんもいる!」


浴衣姿の真琴と凛花の登場に、まりなは晴史から顔を離してふたりに視線を向けた。すると今度はまた別の声が聞こえてくる。


松山「あ、まりなちゃんだ」


そこにはクラスメイトの女子たちの姿がある。私服の子もいれば浴衣姿の子も。


梨央「デート中なんだから声掛けちゃダメでしょ」


その輪の中には浴衣姿の梨央もいる。みんながまりなのところへ集まってきた。


まりな「みんなも来てたんだ」


友達に囲まれてうれしそうなまりな。春に決意した〝友達を作る〟という目標はいつの間にか叶っていた。

まりなは晴史のことをすっかり忘れてクラスメイトたちとの会話を楽しんでいる。


晴史「まりな」


すると突然晴史に名前を呼ばれた。

振り返ろうとするまりなの頬を晴史は片手で優しく包み、素早く唇を重ねる。

突然のふたりのキスに驚いた周囲から「わぁ」「え」と小さく声が上がった。


唇を離した晴史がいたずらっぽく口角を持ち上げて笑う。


まりな「晴史くんっ!」

晴史「したいと思ったから俺もした」


なにもこのタイミングでキスしなくてもいいのに。恥ずかしさからまりなの頬がみるみる赤く染まっていく。


晴史「まりな先輩かわいい」



晴史は微笑むと、クラスメイトや真琴と凜花から冷やかされてさらに顔を真っ赤に染めているまりなを優しい表情で見つめる。


晴史(もしもこの先まりな先輩に悲しいことや辛いことがあったとして)
  (いや、そんなのないのが一番いいけど)
  (でも、もしもそのときは俺が守るよ。だから俺を頼って、たくさん甘えて、ずっとそばにいて。だって俺はーー)


まりな「晴史くん」


いつの間にかまりなたちは歩き始めていて少し離れた場所にいる。

ぼんやりと立ち尽くしていた晴史をまりなが振り返って呼んだ。

うれしそうに駆け寄る晴史。

まりなの手をぎゅっと握って、ふたりで並んで歩き出す。


晴史(これからもきっと、ちょっと重すぎるくらいにきみのことが好きだから)




Fin.









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