甘く奪って、離さない
7話
7話ーDo you remember?ー
〇 学校・校庭(午前)
空には雲ひとつない青空が広がっている。校内の木々には緑の葉が茂り、穏やかな風に吹かれて揺れている。
今日は絶好の体育祭日和だ。
競技が行われている校庭や体育館からは生徒たちの賑やかな声が聞こえていた。
女子生徒「吉野くん頑張ってー!」
校庭では二年生男子による騎馬戦が行われており、騎手である晴史が敵クラスの騎手の帽子を次々と取っていく。その姿にクラス・学年関係なく女子生徒たちが黄色い声援を送っていた。
騎馬戦は晴史の活躍により彼のクラスが優勝した。
そこから少し時間が空いて――
女子生徒1「吉野くんめちゃくちゃ速い!」
女子生徒2「かっこいい~」
校庭では学年別のクラス対抗リレーが行われていて、アンカーを走る晴史が前を走る三人を抜き去り、ぶっち切りの一位でゴールテープを切った。
その顔はまったく疲れを見せていなくて余裕の笑みを浮かべている。
二年生のリレーのあとは三年生のリレーだ。クラス全員参加のため、まりなももちろん参加する。
一番目の走者から順番に走ってきてまりなの番がきた。スタート位置に立つ。
走ってきたクラスメイトからバトンを受け取ろうとしたのだが、まりなは手が滑ってバトンを落としてしまう。慌てて拾い、走り出そうとしたのだが焦って足がもつれて派手に転んだ……。
〇 学校・校舎裏(お昼休み)
校舎裏の日の当たらない場所で、膝を抱えてうずくまるように座っているまりな。
まりな(最悪だ)
(みんなの足を引っ張ってる)
まりなの膝にはリレーのときに転んだ擦り傷ができている。
まりな(私のせいでリレー最下位になっちゃった)
(みんなに合わせる顔がないよ……)
しょんぼりと肩を落とすまりな。
晴史「あ、いたいた」
今はひとりで落ち込みたい気分なのに晴史が現れた。
きっちりと体操服を着ているまりなとは対照的に晴史は体操服をゆるっとだらしなく着崩している。
晴史「まりな先輩大丈夫?」
まりなの隣に腰を下ろす晴史。その視線の先にあるのは擦り傷が目立つまりなの膝だ。
まりなはなんとなくそこを手で押さえて隠した。
晴史「けっこう派手に転んでたよね」
どうやら見られていたらしい。恥ずかしくてまりなの視線が地面に落ちた。
すると晴史の手が伸びてきてまりなの頭をそっと撫でる。
晴史「それでも頑張って走ったじゃん」
まりな「みんなに抜かされたけどね」
晴史「しょうがないよ。まりな先輩足遅いから」
まりなは晴史を睨んだ。励ましたいのか、バカにしたいのかわからない。
まりなは再びしゅんと俯いた。
まりな「私のせいでリレー最下位になったし、総合優勝はもう無理だってみんな言ってる」
〇(回想)今朝のまりなの教室
学級委員長男子「最後の体育祭。絶対優勝するぞ」
おー!と盛り上がる生徒たち。
〇(回想終了)
まりな(梨央ちゃんすごく睨んできてこわかったなぁ)
〇(回想)リレーのあと
転んでも走り終えたまりなのもとへ、クラスの優しい女子たちが駆け寄ってきて「大丈夫?」と声を掛けに集まってくる。
「大丈夫、ごめんね」と謝罪するまりなのことを少し遠くから梨央がものすごくこわい顔で睨んでいる。
目が合って、まりなは慌てて梨央から視線を逸らした。
〇(回想終了)
そのときの梨央を思い出して、まりなは恐怖からブルっと体が震えた。
まりな(ますます嫌われたよね)
(あれからひと言も話してないし)
梨央たちの会話を盗み聞きしてしまった日から梨央とは話をしていない。梨央はまりなを避けているし、まりなは梨央とどう接していいのかわからずにいた。
まりな「吉野くんは私なんかのどこがいいの?」
今のまりなはいつも以上にネガティブになっている。
隣に座る晴史を羨ましげに見つめた。
まりな(吉野くんはすごいよね)
(運動神経もいいし頭もいい。この前のテストで学年一位取ってたもんなぁ)
(あれは意外だった)
〇(回想)数日前の昇降口
中間テストの結果が貼り出されている。
二年生の一位に晴史の名前があり驚愕するまりな。
〇(回想終了)
まりな(かっこいいしスタイルもいいし。明るくて人懐こいから男女問わず人気者だし)
(比べて私は……)
さらにネガティブに陥るまりな。
まりな(こんな私のどこがいいんだろう)
晴史「――まりな先輩の好きなところはたくさんあるけど」
晴史の横顔を見つめるまりな。
晴史「好きになったきっかけはまりな先輩が俺を助けてくれたからかな」
まりな(助けた……)
まりな「この前のこと?」
公園で晴史が男子高校生たちに取り囲まれていたときを思い出す。殴られそうになっていた晴史を助けるため、男子高校生に向かって通学バッグを投げたことだろうか。
晴史「それじゃなくてもっと前。ハンカチ貸してくれたとき」
まりな「あ、そっち……」
晴史と初めて会った日を思い出す。女性に叩かれて頬を腫らしていた晴史に水で濡らしたハンカチを渡したときのことを言っているのだろう。
まりな(そういえばそれをきっかけに吉野くんに絡まれるようになったんだっけ……)
晴史「あのとき――俺がいじめられてるのをみんなは見て見ぬふりしてたけど、まりな先輩だけが俺を助けてくれたよね」
まりな(ん? ハンカチのときのこと言ってるんだよね)
(あれってイジメられてたの?)
(違う気がするけど……)
晴史の女性関係の悪さに腹を立てた女性とただ口論しているだけのように見えた。イジメとは違う気がする。
まりな(それに、みんな見て見ぬふりって……)
(あのとき私しかいなかったと思うけど)
まりな「ハンカチ渡したときのこと言ってるよね?」
晴史「そうだよ」
柔らかく微笑みながら晴史がうなずく。
晴史「まりな先輩のそういう優しいところが俺は好き」
いつもの軽い感じではなく、今の晴史の『好き』という言葉にはなぜか重みを感じた。
晴史の手が伸びてきてまりなの頬に触れると、そっと優しく包むように撫でる。
晴史「好きすぎてつらいから早く俺の彼女になってよ、まりな先輩」
晴史の大きくてぱっちりとした切れ長の目がまりなを見つめる。誰もが見惚れるくらいに端正な顔が少しずつ近づいてきて、まりなは晴史のことを見つめ返したまま動けない。
あと少しで唇が触れそうな距離にまで近づいたところで、どこからかガサッと足音が聞こえた。
?「おっ、こんなとこにいたのかよ晴史」
体操服姿の男子生徒が姿を現す。
パーマは校則で禁止されているのでおそらく天然パーマなのだろう。ショートヘアの黒髪がくしゃっと緩くカールしている。晴史と同じくらいに背が高く、猫の目のような大きくてつぶらな瞳が印象的だ。
?「って、お前。こんなとこで盛ってんじゃねぇ」
晴史がチッと舌打ちをして、まりなの頬に触れていた手を離すと距離を取った。
男子生徒が近付いてくる。
?「晴史、午後の競技始まるぞ」
晴史は面倒くさそうにため息を吐く。
晴史「次なに?」
?「ドッチの準決勝」
晴史「ああ」
まりなは晴史を見たあとで男子生徒に視線を向ける。
まりな(吉野くんと同じクラスの子かな)
(それにしても吉野くん。ドッチボールにも出るんだ。騎馬戦にもリレーにも出てたし、他の競技にも出てたよね)
まりな「吉野くん何種目に出るの?」
晴史「全部」
まりな「全部⁉」
まりな(私はリレーしか出ないのに)
(吉野くん運動神経いいから全部の競技に出るよう頼まれたんだろうな)
晴史の視線が男子生徒に向かった。
晴史「真琴。俺ドッチパス。まりな先輩と一緒にいたいから」
どうやら男子生徒の名前は〝真琴〟というらしい。
真琴「はぁ⁉ おまっ、ふざけんなよ。晴史がいねぇと勝てねぇって」
晴史「じゃあ負ければ?」
真琴「晴史、てめぇ……」
真琴は怒っているようだ。
まりな「吉野くん、行った方がいいんじゃない?」
晴史「でも俺、まりな先輩とまだ一緒にいたいんだけど」
まりな「体育祭に参加してください」
晴史「じゃあキスさせて」
まりな「は?」
晴史が再びまりなとの距離を詰めて頬に手を添えた。
晴史「そしたら次の競技も頑張れるから。ね、まりな先輩。いいでしょ?」
まりな「よ、よくないよ」
じたばたと焦るまりな。けれどそんなことはお構いなく晴史が顔を傾けてまりなにキスをしようと迫ってくる。
まりな「よ、吉野くん」
まりなは晴史の体を押し返そうとするけれどビクともしない。
すると、それを見ていた真琴が大股で近づいてきた。晴史の腕を掴み、まりなから引きはがす。
真琴「体育祭が終わったら好きなだけイチャつけ。ほら、ドッチ行くぞ」
晴史「めんど~」
真琴に腕を引っ張られて、のろのろと立ち上がる晴史。そのまま真琴に無理やり連れて行かれる。その表情はかなり不機嫌そうだ。
晴史「お前の大事なとこ狙ってボール投げようかな。全力のやつ」
真琴「んなことしたらやり返すからな。お前の大事なとこ再起不能にしてよるよこのモテ男」
仲が良さそうな言い合いをしながらふたりはこの場を去っていった。
〇 学校・中庭
それから少ししてまりなも校庭に戻るため移動する。中庭を通ったとき、ベンチにクラスメイトの女子が座っているのを見掛けた。
すらりと背が高く、ショートヘアが良く似合う女子生徒だ。
彼女は足首を気にしているのか手で触っている。その表情が歪み、どうやらそこの部分が痛いのかもしれない。
いったんベンチの前を通り過ぎるまりな。声を掛けようか迷いながら行ったり来たりしていたが、勇気を出して声を掛けてみることにした。
まりな「ま、松山さん。どうしたの」
松山と呼ばれた女子生徒がハッとしたように顔を上げる。
松山「雪村さん」
まりな「足痛いの?」
松山「うん、ちょっとね。リレーのときに捻っちゃって。あ、雪村さんこそ大丈夫?」
松山の視線がまりなの膝に向かう。
まりな「あ、うん。大丈夫。それよりもごめんね。私のせいでリレー……」
松山「気にしない気にしない! ドッチの決勝で勝てば総合優勝は無理でも学年優勝はまだ望みあるからさ」
明るくまりなのことを励ましてくれる松山。
まりなのクラスはドッチボールを順調に勝ち進み、次はいよいよ決勝戦だ。
まりな(もしかして吉野くんのクラスと当たるかも?)
ドッチボールは学年で分けられていない競技のひとつで、男女混合で戦う。晴史のクラスが準決勝で勝つと決勝に進んでくる。そうなるとまりなのクラスと優勝を競うことになるのだ。
松山「絶対に勝つからね、雪村さん」
まりな「うん、応援してる」
松山はドッチボールに参加するが、まりなは応援組だ。
松山がベンチから立ち上がる。けれど足首が痛むのか苦痛の表情を浮かべて、再び座ってしまった。
まりな「やっぱり足痛むの?」
松山「大丈夫。平気だよ」
まりな「でも……」
まりな(この足でドッチボールはできないんじゃないかな)
松山「それに、私がドッチ出ないと女子の人数足りないから。たぶん代わってくれる子いないだろうし」
まりな(そっか。そういえばドッチボールは女子から人気なかったんだよね)
〇(回想)数日前のまりなの教室
体育祭委員を中心に各競技に参加する生徒を決めている。
体育祭委員女子「ドッチボールだけど松山さんの他に女子あと五人誰かやってくれないかな」
ドッチボールは男子六名、女子六名の混合チームで戦う。男子はすぐに決まったのだが、女子はソフトボール部でピッチャーを務めていて投げることに自信のある松山以外はなかなか決まらない。
女子生徒1「ドッチかぁ。ボールこわいんだよね」
女子生徒2「当たったら痛いじゃん」
女子生徒3「やりたくないなぁ」
女子たちからそんな不満が聞こえてくる。
体育祭委員女子「わかった。じゃあ私参加するからあと四人誰かいない? 決まらなかったらくじ引きね」
女子生徒たちから「えー」と不満な声が上がった。
〇(回想終了)
まりな(結局決まらなくてくじ引きになったんだよね)
(私は当たらなかったけど)
松山「せっかく決勝まで進んだからなんとかして私が出ないと」
まりな「でもその足じゃ……」
よく見ると松山の足首は少し腫れている。
まりな「松山さん。保健室には?」
松山「まだ行ってない。怪我のことバレたら参加できないし」
でもこの足でドッチボールをするのは無理だろう。立って歩くのも辛そうだ。
どうすればいいのか考え込むまりな。そして、もうこれしかないと思いついた案を提案してみる。
まりな「松山さん。私が代わりにドッチボールに出る」
松山「雪村さんが?」
まりな「私、投げたり取ったりはできないけど逃げるのは得意だから。最後まで当たらない自信ある」
まりなは力強くうなずいた。
まりな(本当はあのとき手を挙げようとしたんだよね)
ドッチボールの女子メンバーを決めているとき、まりなは立候補しようとしたのだ。でも自分なんかが参加してもクラスの力にはならないだろうと思い、挙げようとした手を引っ込めていた。
まりな「私、優勝に貢献できるように頑張るっ」
松山に向かってまりなは力強くそう言った。