甘く奪って、離さない
8話
8話ーGive me your smileー
〇 学校・校庭
ドッチボールの決勝戦。相手は先ほどの準決勝で勝利した晴史のクラスだ。
まりなのクラスの外野の男子生徒が投げたボールを内野にいる晴史がキャッチする。そのボールを投げると、まりなのクラスの男子に当たり、跳ね返ったそれが女子にも当たった。
真琴「よっしゃ、ダブルアウト。さすが晴史容赦ねぇ」
晴史「無駄口叩いてると当たるぞ」
まりなのクラスの男子が投げたボールを晴史が簡単にキャッチする。またそれを投げて当てたので、まりなのクラスの内野に残っているのはまりなひとりだけになってしまった。
まりな(私が当たったら負けだ)
松山「雪村さーん。頑張って」
あのあと保健室で手当てをしてもらい、松山の足はテーピングがされている。
まりな(松山さんのためにも絶対に勝たないと!)
意気込むまりな。
晴史「あとはまりな先輩だけだね」
真琴「おい、晴史。手加減すんなよ」
晴史のクラスの内野は晴史と真琴のふたり。
晴史「まりな先輩、痛いのやだよね」
まりな(吉野くん、私のことを好きとか言ってくるくらいだからやっぱり手加減してくれるよね)
(というか手加減してください! 吉野くんの投げたボール当たると痛そうだから!)
祈る気持ちでまりなは晴史を見つめた。
晴史「投げるよ、まりな先輩」
晴史が手を振り上げる。もちろん狙うのはまりなだ。振り上げた手を降ろしていき、その勢いでボールを投げた。
まりな(え、うそでしょ⁉ 速っ)
これまでと変わらない威力のボールがまりな目掛けて飛んでくる。とっさに避けたことにより、体すれすれでなんとか交わすことができた。
まりな(吉野くん本気で投げた⁉)
手加減してもらえると思っていたが考えが甘かったらしい。
晴史「まりな先輩、後ろ」
まりな「えっ」
今度は外野の生徒が投げたボールが飛んできて、またもまりなはすれすれで交わした。
ボールは再び晴史の手にある。まりなに向かって全力で投げてきたので必死に避ける。今度は外野の生徒が投げてきたのでまた避ける。
まりなは避けるのに必死でボールを取ることができない。
まりな(どうしよう。このままだと負けちゃう)
コート内を逃げ回るだけではいつか当たってしまう。ボールを取って投げて、外野にいるクラスメイトにパスしないと。
まりな(今度こそ絶対に取る)
ボールは真琴が持っている。
真琴「まりな先輩、次は俺が投げるよー」
晴史「真琴、お前なに勝手にまりな先輩を名前で呼んでんだ」
晴史が真琴の頭を軽く叩いた。
真琴「痛っ」
晴史「つか、まりな先輩に話し掛けんな」
真琴「痛っ。おまっ、二回も叩くな」
晴史が真琴の背中を思い切り叩いた。それに驚いた真琴がうっかり手を離してしまい、ボールがころころと転げ落ちる。
真琴「やべっ」
ボールはころころと転がってまりなのコートに入ってきた。まりなはそれを急いで取る。
まりな(このボールいいのかな)
まりなは審判をしている生徒を見た。なにも言わないので、まりなのボールにして問題ないのだろう。
真琴「おい、晴史。ボール落としちゃっただろうが」
晴史「アホだな」
真琴「お前のせいだよ!」
ふたりが言い合いを始めた隙にまりなは外野にいるクラスメイトにボールをパスした。取ったのは梨央だ。
梨央はすぐにボールを投げて、まだ言い合いをしている真琴の背中に命中させた。
真琴「は? 俺、当たったじゃねぇか」
晴史「早くコートから出ろ」
真琴「俺、お前の味方なんだけど。さっきから冷たくね?」
ぶつぶつと文句を言いながら真琴がコートから出て外野に向かう。内野に残っているのは晴史だけだ。
まりなのクラスは梨央が真琴を当てたことで外野から内野に戻ってきたのでふたりになった。形勢逆転だ。
ボールを持った晴史がまりなと梨央を交互に見ている。どちらを狙って投げようか考えているのかもしれない。
梨央「吉野晴史。絶対に倒す」
ふと梨央の声が聞こえた。
梨央「この私をよくもフッたわね。まりなちゃんのどこがいいのよ。絶対に私の方がかわいいのに」
ぶつぶつと呟く梨央。
梨央「吉野くんなてもう好きじゃない。だからまりなちゃん――」
梨央がまりなのことをチラッと見た。
梨央「ふたりで吉野くんを倒すわよ」
まりな「えっ、う、うん」
久しぶりに梨央に話し掛けられて動揺するまりな。
梨央「くるわよ、まりなちゃん」
晴史がボールを投げる体勢に入った。
まりな(吉野くん私を見てる。私を狙ってるんだ)
晴史はまた手加減なしの全力で投げてくるのだろう。好きな相手であるまりなだからといって容赦しないのが吉野晴史という男なのかもしれない。
晴史がにっこりと笑う。
晴史「まりな先輩、次は取ってね」
まりな(取れるわけないでしょ!)
真琴「晴史。絶対に当てろよ」
外野から真琴の声が聞こえたのと同時に晴史がボールを投げた。取れないかもしれないけれどキャッチするため身構えるまりな。
まりな(……あれ?)
気がつくと晴史の投げたボールをキャッチしていた。
まりな(え、うそ⁉)
さっきまで避けるのに精一杯だったのに、キャッチできてしまった。
真琴「晴史っ! なんだそのへなちょこボール」
晴史「悪い。手が滑った」
真琴「はぁ⁉」
どうやらそのせいで投げるときに力が入らず、まりなでもキャッチできてしまうほど弱いボールになってしまったらしい。
真琴「晴史。次のボールは絶対に取れよ」
梨央「まりなちゃん、絶対に吉野くんに当てるのよ。そしたら私たちの勝ちだから」
まりなはボールを投げる体勢に入る。
まりな(私の投げたボールなんかすぐに取られちゃうんだろうな。それでも――)
まりなは手を振り下ろして思い切りボールを投げた。全力なのだがだいぶ弱いボールだ。
まりな(これじゃ吉野くんに取られちゃう)
まりなの投げたボールは晴史のもとへ飛んでいき、晴史の体に当たって落ちる。
まりな(えっ、当たった……?)
その瞬間、試合終了のホイッスルが鳴った。
審判の生徒「優勝は三年一組」
それを聞いたまりなのクラスメイトたちが喜びの声をあげる。
一方のまりなは自分の投げたボールが晴史に当たったことが信じられず、ぽかんとした表情を浮かべていた。
〇 学校・校庭
体育祭が終了して表彰式が行われている。
まりなのクラスは総合優勝こそ逃したものの、学年別の順位は一位で学年優勝を果たした。代表して体育祭委員の生徒がトロフィーを貰っている。
表彰式が終わると、まりなのもとに松山が足を引きずりながらやって来た。
松山「すごいよ雪村さん。雪村さんのおかげでドッチ勝てたんだから」
そこへ他のクラスメイト女子たちも集まってくる。
女子生徒1「雪村さんドッチ強いんだね」
女子生徒2「ドッチ優勝できなかったら学年別一位は取れなかったよ」
女子生徒3「MVPは雪村さんだね」
褒められて焦り出すまりな。
まりな「そんなことないよ。私、リレーでみんなの足引っ張ったし」
梨央「そうだよね。まりなちゃんがバトン落として転ばなかったらリレーも勝てたんだから」
そこへ梨央がやって来る。もっと嫌味を言われるのかと思ったが、梨央はそれ以上はなにも言わずまりなの膝に視線を落とした。
梨央「膝の怪我、大丈夫?」
まりな「う、うん。もう平気」
梨央「あっそ」
言葉は途切れたけど、梨央はまだまりなになにか言いたいことがあるのかこの場を離れようとしない。
梨央「あのさ」
しばらくして梨央が口を開いた。
梨央「ごめん」
突然の梨央の謝罪の言葉に困惑するまりな。
梨央「ひどいことしたって思ってる。だから本当にごめんなさい」
梨央が頭を下げた。
まりな「梨央ちゃん」
梨央が頭を上げる。
梨央「そういうことだから」
謝罪だけをして立ち去ろうとする梨央にまりなは声を掛けた。
まりな「梨央ちゃん。今度また一緒に放課後勉強しよう」
梨央がゆっくりと振り返る。
梨央「また教えてくれるの?」
まりな「もちろん」
梨央「お礼にシェイクとポテト奢るから」
梨央が口元に笑みを浮かべる。
松山「いいなぁ。その勉強会、私も交ぜて」
女子生徒1「私も!」
女子生徒2「雪村さん頭いいもんね。私も教えて」
女子生徒たちが集まってくる。突然みんなに囲まれて戸惑いつつも照れたように笑うまりな。
その様子を少し離れた場所から晴史が微笑みながら見つめていた。
〇 学校・昇降口(放課後)
晴史「まりな先輩、一緒に帰ろう」
外履きに履き替えて帰宅の途に着くまりなのあとを晴史が追いかけてくる。
まりな「いいけど今日はバイトあるから」
晴史「じゃあバイト先まで」
並んで歩くふたり。
まりな「総合優勝おめでとう」
晴史「ありがと」
体育祭で総合優勝を果たしたのは晴史のクラスだ。
晴史「まりな先輩のクラスも学年一位だったね」
まりな「うん……」
晴史「嬉しくないの?」
どこか浮かない表情をしているまりなの顔を覗き込んでくる晴史。その顔をまりなは見つめ返した。
まりな「吉野くん。ドッチボールのとき手加減したでしょ」
ずっと気になっていたのだ。
まりな「最後に私に投げたボールわざと弱く投げたよね。そうじゃないと私が取れるわけない」
晴史「そう? まりな先輩が頑張ったからキャッチできたんだよ」
まりな「違う。それに、そのあと私が投げたボールにわざと当たったよね」
晴史はなにも言わず、まりなから視線を外した。
晴史「別にいいじゃん。まりな先輩のクラスが勝てたんだから」
まりな「よくないよ!」
晴史に詰め寄るまりな。
まりな「吉野くんが最後に手加減したからクラスが負けちゃったんだよ」
〇(回想)表彰式後
クラスメイトの女子たちに囲まれているまりなは、少し離れた場所にいる晴史に気が付いてそちらに視線を向けた。
真琴「晴史。ドッチの優勝逃したのお前のせいだからな。他の競技は全部優勝したってのに」
晴史「別にいいじゃん。総合優勝できたんだから」
真琴「どうせなら全競技で優勝したかっただろうが」
晴史「はいはい」
ぷりぷりと怒っている真琴を適当にあしらいながら歩き出す晴史。
真琴「あ、おい待て。晴史」
晴史のあとを真琴が追いかけていった。
〇(回想終了)
まりな(本気でやっていれば絶対に吉野くんのクラスが勝てたのに)
少し先を歩く晴史の背中を見つめるまりな。
晴史「俺はね、まりな先輩――」
晴史が立ち止まって振り返った。まりなもまた足を止める。
晴史「他のことなんてどうでもいいから、まりな先輩が笑ってくれたら、それが一番うれしいかな」
晴史が優しく目を細めて微笑んだ。
彼にとってクラスの勝ち負けはどうでもよくて、それよりもまりなが笑顔になれる展開を望んだ。だからボールを投げるのを手加減して、わざとボールに当たり、まりなのクラスが勝てるようにした。すべてはまりなのために。
まりな「吉野くん……」
そこまで自分のことを想ってくれている晴史の気持ちに胸を打たれるまりな。
どう言葉を返せばいいのかわからない。
晴史「早く帰ろ。バイト遅れちゃうよ」
まりな「う、うん」
まりなは再び歩き出して晴史の隣に並ぶ。ちらっと晴史を見ると微笑み返されて、思わずドキッとして慌てて視線を逸らした。
頬を赤く染めるまりなのことを晴史が幸せそうに微笑んで見つめていた。