甘く奪って、離さない

9話


9話ーDon't cryー


〇 学校・まりなの教室(数日後、朝)


六月に入り、衣替えをして夏用の制服に変わった。

まりなの席のまわりにクラスメイトの女子たちが集まって楽しそうに話をしている。その中には体育祭以降、特に親しくなった松山の姿もある。

平然を装うまりなだけれど、友達に囲まれて内心ではとても感動していた。


まりな(ずっとひとりぼっちだった私が……クラスの輪に入れてる!)


そのとき、教室の前方の扉が開いた。まりなの視線はすぐにそちらへ向かう。

教室に入ってきたのはクラスメイトの男子だ。それを見てまりなは残念そうな表情を見せた。


まりな(吉野くん最近来ないなぁ)
   (校内では見掛けるから学校には来てるんだろうけど)


まりなの教室にしつこく出入りしていたはずの晴史が、体育祭が終わってからは来なくなった。もう一週間ほど経過している。

再び教室の扉が開いた。


まりな(吉野くん)


クラスメイトと話している途中だがまりなの視線は前方の扉へと向かう。けれど教室に入ってきたのは晴史ではなくクラスメイトの男子だった。

しょんぼりと肩を落とすまりな。


まりな(どうして吉野くん来ないんだろう……)


寂しく思っている自分に気付いてハッとなる。


まりな(べ、別に寂しくなんかないし)
   (そもそもここは吉野くんの教室じゃないんだから来なくていいんだって)


必死に自分に言い聞かせるまりな。ふと体育祭の日の帰り道を思い出した。


〇(回想)体育祭の帰り道

立ち止まって振り返った晴史がまりなを見つめて微笑む。


晴史「まりな先輩が笑ってくれたら、それが一番うれしいかな」

〇(回想終了)


晴史のことを思い出してドキッと心臓が高鳴るまりな。頬が赤く染まっていく。頭の中が晴史のことでいっぱいだ。


まりな(ち、違うから。吉野くんのことなんてなんとも思ってないから)


大きく頭を振って、頭の中の晴史を必死に追い出す。そんな彼女の行動を松山が不思議そうに見ている。


松山「まりなちゃんどうしたの?」

まりな「え、あ、ううん。なんでもない」


笑って誤魔化すまりな。

そのとき、朝のHRの時間を知らせる予鈴が鳴り、まりなの席に集まっていたクラスメイトたちが自分の席に戻っていく。

まりなは教室の前扉をしょんぼりした顔で見つめた。


まりな(吉野くんに今日も会えないのかな)


無意識にため息を落としてしまった。



〇 学校・廊下(放課後)

掃除当番のまりながゴミ箱を持って歩いている。校舎裏のゴミ捨て場に向かっている途中だ。

すると背後から足音が聞こえて、誰かに肩をトントンとつつかれた。立ち止まって振り返った瞬間、頬に人差し指がムニュッと刺さる。


まりな「……吉野くんやめて」


そこには晴史が立っていた。いたずら成功!とでも言いたそうな顔で笑っている。

しばらく会っていなかったのが嘘のような自然な登場だ。


晴史「まりな先輩、ゴミと一緒にどこ行くの?」

まりな「ゴミ捨て場に決まってるでしょ」


止めていた足を再び動かすまりな。そのあとを追い掛けてきた晴史が隣に並んで歩き出す。そしてまりなの持っているゴミ箱を代わりに持ってくれた。


晴史「俺も一緒に行っていい?」


笑顔で尋ねてくる晴史をいつものようにあしらうことができない。

ついつい頬が赤く染まってしまうのを隠すためにもまりなは歩く速度を上げて晴史の一歩前を歩いた。



〇 学校・中庭

ゴミ捨て場までの近道を歩くふたり。特に会話はしていなかったけれどふと気になったことがあり、まりなは晴史に声を掛けた。


まりな「どうして最近来なかったの?」


きょとんとした顔を見せる晴史。すると、まりなのことをからかうようないたずらげな笑顔を見せる。


晴史「俺に会えなくて寂しかったんだ」

まりな「そうじゃない!」


図星を突かれて思わず強い口調で言い返してしまった。

顔を真っ赤にさせて否定するまりなを見て晴史がクスッと笑う。それから視線をまりなから外して、ぼんやりと前方を見つめた。


晴史「まりな先輩、最近いつも友達に囲まれてるよね」

まりな「え」

晴史「友達と話してるまりな先輩うれしそうだし楽しそうだからさ。俺がジャマしちゃいけないなと思って」

まりな「でも梨央ちゃんと話してたときはそんなこと気にしてなかったよね」


〇(回想)四月の頃のまりなの教室

梨央と話しているまりな。そこへ教室の扉が開いて晴史が入ってくる。


晴史「まりな先輩、おはよ~」


まりなの席まで来ると、晴史は近くのイスに腰を下ろした。


晴史「俺も女子トークに交ぜて」


晴史はまりなと梨央の会話をジャマするかのように仲間に入ってきた。

〇(回想終了)


中庭を移動するまりなと晴史。


晴史「俺、決めたんだよね。まりな先輩が嫌がることするのやめようって」

まりな「私が嫌がっている自覚はあったんだね」


それならもっと早くやめてほしかった。


晴史「だからさ、あれも違うって言っておいたから」

まりな「あれって?」

晴史「俺とまりな先輩が付き合ってるって噂」

まりな「ああ……」


まりな(そういえばそういうことになってるんだよね)


図書室でのキスを目撃されてからまりなと晴史が付き合っているという嘘の情報が女子生徒を中心に広まった。

当初は陰口を叩かれることが多かったまりなだけれど、それもだいぶ落ち着いていたので最近ではすっかり忘れていたのだ。


晴史「まりな先輩とはまだ付き合ってないって言っておいたから。俺の片想いだって」


晴史の横顔を見つめるまりな。


晴史「それなら問題ないよね。事実なんだから」


まりな(それもそれで吉野くんファンから反感を買いそうな気がするけど)


まりながそんなことを思っていると、遠くから女子生徒の叫び声が聞こえた。


女子生徒「危ないっ!」


まりな(え?)


晴史「まりな先輩そこ退いて」


晴史がまりなの腕を強く引っ張った。その衝撃でまりなはその場に尻餅をついてしまう。


まりな「え、なに?」


一瞬のことで状況が呑み込めない。けれどよく見ると晴史の制服がずぶ濡れになっていた。


晴史「うわっ、冷てぇ」


いったいなにが起きたのだろう。きょろきょろと辺りを見回すと、花壇の近くでホースを持っている女子生徒ふたりの姿が目に入る。

顔面蒼白の彼女たちがまりなたちに駆け寄ってきた。


女子生徒1「すみません。大丈夫ですか」

女子生徒2「花壇に水をあげようとしたら、水の勢いが強過ぎてホースが暴れちゃって」


その水が、中庭を歩いていたまりなたちに向かってきたのだろう。


制服のリボンの色を見ると女子生徒たちが一年生だとわかる。上級生である晴史の制服を濡らしてしまい、必死に謝罪をしている。

晴史は「気にしないで」と笑顔で答えている。その様子を見つめるまりな。


まりな(吉野くん、私が濡れないようにしてくれたんだ)


本当なら歩いていた位置的にはまりなに水がかかるはずだった。けれどいち早く危険を察知した晴史がまりなの腕を引っ張り、その代わりに自分が濡れてしまったのだろう。

女子生徒たちは何度も何度も晴史に謝罪をしてから、まりなたちのもとを後にした。


まりな「びしょ濡れだね」

晴史「ちょっと寒いかも」


季節は六月で初夏とはいえ今日は曇り空で風も強い。濡れた制服では寒いだろう。このままでは晴史が風邪を引いてしまうかもしれない。


まりな「吉野くん、私の家に行こう」


まりなは晴史にそんな提案をした。



〇 まりなの自宅・リビング

十三階建ての集合住宅。その五階にある2LDKの部屋がまりなの自宅だ。


晴史「まりなせんぱーい。タオルどこー?」


浴室から晴史の声が聞こえた。リビングで晴史のスラックスをドライヤーで乾かしていたまりなが返事をする。


まりな「洗濯機の上にない?」

晴史「……あ、あった。これ使っていいの?」

まりな「いいよ。着替えも置いてあるから」

晴史「ありがと」


そんな会話を終えたあとで、ふと我に返るまりな。


まりな(とっさに家に連れてきちゃったけど、よかったのかな)


〇(回想)学校・中庭

まりな「吉野くん、私の家に行こう」

晴史「まりな先輩の家?」

まりな「そう。私の家近いから」

〇(回想終了)


それから晴史を家に連れてきて脱衣所に押し込んだ。びしょ濡れのワイシャツは洗濯機で洗い乾燥機にかける。少しだけ濡れていたスラックスとネクタイはドライヤーで乾かすことにした。

晴史には冷えた体を温めてもらおうとシャワーを浴びるよう提案したのだ。


晴史「まりな先輩、ドライヤーある?」


まだ水滴のついた髪をかきあげながら晴史がリビングに入ってくる。

下はまりなが貸したジャージを履いているが上は裸だ。ほどよく筋肉がついて引き締まっている胸元と腹筋を見た瞬間、まりなの頬が一気に紅潮する。

見てはいけないと慌てて視線を逸らした。


晴史「俺のズボン乾かしてくれてたんだ。ありがと」


晴史が上半身裸のまま近付いてきてまりなのすぐ隣に腰を下ろした。ボディーソープかシャンプーの甘い香りがふわっと香って、まりなの心拍数がどんどん上がっていく。


まりな「ふ、ふ、服っ! 着てよ」

晴史「あー、ごめん」


晴史はまりなの貸したTシャツを身に着けた。


晴史「これでいい?」


ゆっくりと振り返るまりな。晴史にドライヤーを渡した。


まりな「はい、これ使って」


けれど晴史は受け取ろうとしない。ドライヤーをじっと見ながら考えているようだ。そしてなにか閃いたらしく、にっこりと笑った。


晴史「まりな先輩、乾かしてよ」

まりな「自分でやって」

晴史「そんなこと言っていいの? あのとき本当はまりな先輩が濡れるはずだったんだけどなぁ」

まりな「うっ……」


そう言われてしまうと返す言葉もない。

晴史が庇ってくれたからまりなは濡れずにすんだのだ。そしてその代わりに晴史が犠牲になってしまった。


まりな「わかった」

晴史「やった」


まりなは晴史の髪をドライヤーで乾かし始める。


まりな(吉野くんの髪サラサラ。私よりきれいかも)


晴史「この服ってお父さんの?」


晴史が着ているジャージはデザインやサイズがどう見ても紳士ものだ。まりなは首を横に振る。


まりな「うち母子家庭だから。お父さんはいないよ」


ドライヤーで晴史の髪を乾かしながらまりなはさらっと答える。


まりな「それはお母さんの前の彼氏の服。置いていったのが残ってたからちょうどよかった」

晴史「ふーん」

まりな「うちのお母さん男性依存症っていうのかな。付き合っては別れてを繰り返して、常に男の人がそばにいないとだめなんだよね」


こんなことをあまり自分からは話さないのに晴史にはつい気を許して話してしまう。晴史は黙って耳を傾けていた。


まりな「今の彼氏で何人目なんだろう。お母さんスナックで働いてるんだけど、そこで出会った人なんだって。いつもすぐに別れちゃうのに今回は長く続いてるかも」


わりと複雑な家庭環境について話したのに晴史からはなにも反応がない。まりなは気になってドライヤーを消してから晴史に尋ねる。


まりな「……なにも聞かないの?」

晴史「なにか聞いてほしいの?」


優しい表情で晴史が振り返る。


まりな「いや……ううん、そういうわけじゃないんだけど」


まりなは再びドライヤーのスイッチを入れて晴史の髪を乾かし始めた。


まりな「小学生や中学生の頃の友達やその親は、お母さんのこと悪く言う人が多かったから」


軽蔑されることが多かった。

『まりなちゃんのお母さんの服って派手だよね』『うちのお母さんが言ってたんだけど、まりなちゃんのお母さんって男の人とお酒を飲む場所で働いてるんだって』『まりなちゃんのお母さん、また別の男の人と歩いてたよ』『あんなお母さん嫌だよね』

クラスメイトの中にはまりなの母を悪く言う子たちがいた。

だからもしかしたら晴史にも母の話をしたら軽蔑されると思ったのだ。


まりな「吉野くんもお母さんのことバカな人だって思ったよね」


態度にこそ出していないが内心では晴史もそう思っているはず。


晴史「思ってないよ」


晴史が振り返る。

ドライヤーを持っているまりなの手に自分の手を重ねてスイッチを切った。そのままドライヤーをまりなの手から抜き取り、ポイっと投げ捨てる。そしてまりなを見つめた。


晴史「だってまりな先輩、お母さんのこと好きでしょ」

まりな「え?」

晴史「お母さんのことを話すまりな先輩の声が優しかったから。大切に想ってるんだろうなって伝わってきた」


そう言ってにっこりと微笑む晴史。


晴史「俺もまりな先輩のお母さんに会ってみたくなったかな」

まりな「吉野くん……」


派手な身なりと、次から次へと付き合う男を変えるようなしょうもない人だけど、まりなは母親が好きだ。

自分の寝る時間を削り、夜はスナック、昼は弁当屋で働いて女手ひとつでまりなを育ててくれていることにも感謝している。

だから友達やその親が母親のことを悪く言うのは子供の頃から許せなかった。


まりな(でも、吉野くんは違う――)


まりなの母のことを悪く言わなかった。


晴史「あ、雨降ってきた」


窓の外に視線を向ける晴史。ザーザーと音をたてて強い雨が降り始めている。


晴史「まりな先輩?」


晴史がまりなに視線を戻す。


晴史「どうしたの?」


まりなの目からは自然と涙がこぼれて頬を伝った。

晴史に言われて自分が泣いていることに気付いたまりながハッとした顔を見せる。


まりな「え、あれ。どうしたんだろう。涙が……」


母親のことを否定する人が多かったのに晴史はそうではなかったことがまりなはうれしかった。


まりな「急にごめん」


両手で必死に涙を拭うけれど、降り出した雨と同じようにまりなの涙も止まりそうにない。


晴史「まりな先輩」


晴史がまりなの頬を両手で優しく包んで、自分の目線と合うように少しだけ上を向かせる。


晴史「涙止まらないなら俺が止めてあげる」


まりなにゆっくりと顔を近付けていく晴史。そのまま唇をそっと重ねた。

始めは目を見開いて驚いていたまりなだったけれど、それを受け入れるようにそっと目を閉じる。

晴史がキスを続けながら少しずつ体重をかけてまりなのことを押し倒した。


窓の外ではさらに雨脚が強くなっていた。



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