執事の憂鬱(Melty Kiss)
1.ムーンリバーが似合う夜
夏だと言うのに、思いがけず満月が綺麗で、清水 英明(しみず ひであき)は思わず足を止めた。
東京都内にあるとは思えないほど、広い邸で見る月はすこぶる美しい。
古い映画――ティファニーで朝食を――の、ムーンリバーが頭の中を静かに流れていった。

『今夜は帰らないから。
都さんも、俺と一緒』

数時間前、銀組(しろがねぐみ)次期総長である銀 大雅(しろがね たいが)氏が、まるで少年が初めての彼女を自慢するような口調で電話を掛けてきたのが少しだけ可笑しかった。
赤城特攻隊長の言葉は本当だったんだと、改めて実感する。

長い間二人を傍で見てきた清水にとっては、なんとも感慨深い夜だった。
だからこそ、平凡な満月も美しく見えるのかもしれない。


「そんなに待っていてもうちの姫は帰ってこないよ」

背中から、剣呑さを薄皮に包んだ柔らかい声。
まるで気配を感じなかったことに驚いて、清水はくるりと視線を向けた。

次期総長の想い人、八色 都(やしきみやこ)の実の父親であり、誰もが認める銀組ナンバーツーである、紫馬 宗太(しばそうた)が、月夜に彷徨う野良猫宜しく足音も立てずに歩いていた。

「存じております」

清水は丁寧に答える。

「あら、他人行儀なんだから。
知らない仲じゃないんだし、二人きりのときくらい昔みたいに仲良くしてよ。
英明先輩☆」

学生を思わせるようなふざけた口調で紫馬が言い、彼にしては珍しく男に向かって相好を崩した。
白い歯が、きらりと、月に照らされて光る。


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