ぼくたちのケータイ小説の作り方
3.30 描写論その1 「何を」書くのか

ビデオやDVDの普及で、「何度でも」「細かいところまで」映像を見ることが可能になりました。そのメディアの登場が今の「情報量の多い映像」という文化を作りあげたとも言えるでしょう。
そしてそれは絵画やマンガ、小説でも言えます。
現代は情報化社会ですから、なんでも情報ををつめ込めば「価値がある」「作品として優れている」とみなされる傾向があると思います。
歴史的背景や人物の心理をたくさん書いた小説は「なんだか重厚ですごそうだ」と思いますよね。つまりこれもそういう「情報量をつめ込むことによって価値を上げている」ことになります。「SF」や「ファンタジー」なんかは特にこの傾向が強いですよね。


では何でもかんでも書けばいいのかといえば、そういうものでもありませんよね。


物語の主人公が女子高生だったばあい、たとえそれが三人称でも一人称でも、『その子が見ているもの、感じているもの、考えているもの、触れているもの、興味があるもの』を中心に書くことが重要です。


ぼくはケータイ小説は「無駄のない描写」が魅力だと考えます。主人公が直面している状況や、欲している願望を書いてあげることが、ケータイ小説におけるカタルシス(読後感、満足感)を得るために一番重要な要素だと思います。


恋する女子高生の日常を描き、彼女の存在感と魅力を感じとってもらい、片想いの子に対する想いやその後の喜びや悲しみ書くことで共感を得る。ケータイ小説に多く求められるのは「(苦しみや嫌悪感も含めた)共感や憧れ」です。それらを読者に提供することをまず第一に考え、逆算する。
何を書けば彼女の感情を表現できるか、彼女の存在感や魅力を出せるか、ということをしっかりと念頭に置いておくと、自ずと「何を書くか」が導きだされてくるのではないでしょうか。


キャラをしっかり作っておくと、書くべきことが案外よく見えてきます。キャラが、作者が、読者がいったい何に関心があるのか。もしくはないのか。そこをよくわかっていると、自然と書くべきこととそうでないものの区別がついてくるのではないでしょうか。

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