さんざ語られてきた哲学

善と悪の間

神だの、平和だのと、どれだけ気高いことを語ったとしても、
何らかのアクションを実行し、成功させるには、他人の気持ちを利用しているのである。
時には、悪意を誇張して正義感を煽動したり、
恐怖感を煽って多様な思想を一致団結させてみたり。

つまり人類は、これまで「善」と「悪」を利用してきたのだ。
ならば、普通に一般人として生きることが、善く生きることの近道かもしれない。

しかし、一般的な生き方であっても、善悪を分けることは難しい。
例えば、一方には良くとも、片方からすれば好ましくないことがある。
人対人の中では、なおさらお互いの欲得がからむ(良くありたいと思うことも欲)。

だからこそ、謙虚であること、控え目なことが美徳とされるのではないか。
これはよく考えれば、宗教も思想も関係ない、
誰もが気づくことが出来る、一つのあり方の答えではないか。
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