闇夜の略奪者 The Best BondS-1
第三章『その羽をもぎ取る漆黒の刃』
【第三章】

 男は薄く笑んだ。
 目を落としていた本が面白かったわけではない。
 寧ろどこにでもありそうなお涙頂戴の家族愛ものの其れのどこが面白いのか彼には全く理解出来なかった。
 だが今の彼には例え純愛ラブストーリーだろうが、歴史書だろうが辞書であろうが、それこそ読めない言語で書かれていたものだとしても構わなかった。
 昂(タカブ)る精神を落ち着かせることだけが目的だったのだから。
 男は静かに本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
 長い黒髪がさらりと揺れる。
 「宴が……始まる」
 待ち望んでいた宴が遂に始まるのだ。
 それは死の薫りが漂う血の祝祭。
 外から聞こえてくる波の音はまるで死神が命を誘(イザナ)い口ずさむ鎮魂歌。
 男は胸に落ち着く大きな蒼い石の首飾りにそっと触れる。
 「此度こそは……」
 その呟きは宵闇に染まり、飢えた心を満たしていった。


 小さな明かり一つの暗い室内。
 初めての経験にエナは狼狽していた。
 無機質でいて冷たいものが口ばかりか鼻までもを覆う。
 なんだこれは、と脳が警鐘を鳴らす。
 呼吸が苦しくて必死にそれを剥ぎ取ろうとじたばた暴れたエナに降る声が、一つ。
 「騒ぐな」
 耳元で囁く、押し殺したような声にエナは目を見開いた。
 聞き覚えがある――気がする。
 心に真っ直ぐと入り込んでくるような少し低めの、力強い声。
 エナは片手を挙げて何度も何度も頷いた。
 「――ぷはっ!」
 ようやく開放され、エナは呼吸を求めて大きく息を吸った。深呼吸をいくつか繰り返し、エナは声の主を振り返った。
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