闇夜の略奪者 The Best BondS-1
第五章『憎しみを越える覚悟を手に』
【第五章】

 何故だ、と彼は思った。
 其れは彼の理解の範疇を大きく超えていた。
 目の前には、憎しみを喰らう剣を携えた剣士が居る。
 故郷を失い、家族を喪い。それでも剣士は何一つ欠けることなく剣士たる姿でその場に立っていた。
 ――理解出来ぬ。
 先程まで確かに憎しみに支配されていたはずだというのに、何故今、その目は澄んでいるのだ。
 だがそれは確かに目の前にあり、その事実に血肉は沸き立つ。理解することは出来なくとも、望んでいた光景に沸々と細胞が目覚め騒ぐ。
 今までに無い強敵だと肌が告げ、それが男の意識を昂揚させる。ようやく全力で戦えるかもしれない、と。
 「さぁ、死の踊りを共に舞おうぞ」
 命を此岸と彼岸の境界に置いて、踊り狂おう。
 悲願を成就する時は、近い。



 もう立ち上がることは適わなかった。
 頼もしく笑ったゼルに安堵し、解毒剤を探しに行かなければと動いた瞬間エナを襲ったのは激しい眩暈と嘔吐感。
 床が迫ってくるような感覚にエナはその場で手をついた。
 「やっば、吐きそ……」
 空いている手で口を覆う。その指先の冷たさに自分でも驚く。否、顔が熱いのか。
 「すぐ片付けっから。ちっと辛抱しててくれな」
 庇うように仁王立ちで告げるゼルの背中を見上げる。だが、その視界はぐらつき、彼の背にある傷の赤さがゆらゆらと揺れるばかり。
 「うん。お願……っ」
 言葉が気管に詰まり咳き込みかけたがエナは必死にその衝動を押さえ込んだ。今刺激を与えたら確実に嘔吐する。乙女としては避けて通りたい道だ。
 「任せとけって」
 そう言ってゼルは伸ばした左腕の親指を立てた後、首の骨を鳴らした。
 「おう、アンタ。ジストっつったっけか。エナの解毒剤を、頼む」
 「……」
 エナに言われた通り“時間稼ぎ”をしていたジストはゼルを見遣り何か考えていたが数秒の後、死神から照準を外すと銃をくるくると指で玩(モテアソ)んだ。その唇はへの字に曲がっている。
 銃の照準が逸れてもジストの意識が離れていないことを感じ取っているからなのだろう。隙だらけとも思えるその行動にも死神は一歩も動かない。

< 76 / 115 >

この作品をシェア

pagetop