1985年、僕は総理と呼ばれていた。
1985年、僕は総理と呼ばれていた。
 カッカッカッというテンポの速い革靴の音が駅の連絡通路に響いた。終電間近の時間帯は人の通りもまばらなのだが、その音に気がついた何人かは音のするほうへと振り返った。

 電車の出発アナウンスが駅に轟く。階段の横にあるエスカレーターを大股で駆け上がるも、電車の扉は無常にも目の前で閉じた。

 「ちくしょう」と呟いた雄二は、両手を膝に置くと前かがみになり粗い呼吸を整えた。そして「プフー」と息を吐きながら上体を仰け反らす。

 ズボンの左のポケットから携帯電話を取り出すと、すぐに妻の絵里にメールを送った。

 「ごめん、今、目の前で電車が行っちゃった。あと20分くらい電車来ないからちょっと遅れるわ」

 数十秒後に絵里から返事が来た。


 「こっちは全然大丈夫よ~。ゆっくり帰ってきてね。それよりさ、雄ちゃんに見せたい写真がさっき出てきたの」


 今日は絵里の誕生日を自宅で祝うつもりだった。しかし雄二の勤める高校で先週不祥事があり、夏休み中にもかかわらずその後処理に追われていた。今日も昼間からその為に学校へと出向いており、予定ではもっと早く終わるはずだったのだが、終電間際までかかってしまったのだった。


 「ただいま」


 雄二は肩かけの鞄を床に置き、リビングのソファに腰を下ろした。

 絵里はアイスコーヒーを用意して雄二の前に置いた。そしてダイニングテーブルの上に重ねてあった写真の束から1枚取り、それを差し出した。

 「見て見て」

 絵里は嬉しそうに言った。

 「おっ、真ん中が絵里か」

 写真は3人の女性が写っていた。左側には、黒髪をポニーテールにしている女の子、右側にはセーラー服を着たおかっぱ頭の女の子、そして真ん中には、重力に逆らっているかのように広がりのある金色の髪をし、濃い化粧をしている女の子が写っていた。その真ん中の女の子が絵里だと雄二にはすぐわかった。

 「私ってわかっちゃったかぁ、これ、新宿厚生年金会館にジャンクブレイカーズを観に行った時の写真よ」

 ジャンクブレイカーズというのは、その頃絵里が一生懸命追いかけていたロックバンドの名前だ。



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