ありのまま、愛すること。

「美樹さん、好きだよ」

そんな母に「いい人」ができたとチエ子さんが感じたのは、1950年代に入って行われるようになった『横浜みなと祭』の第1回のときだったそうです。

母が社長秘書をしている会社「横浜レインボー」は横浜関内の長者町に事務所がありました。

『みなと祭』に誘われたチエ子さんがそこを訪ね、社長に挨拶したときに、横にいる母と社長のあいだにある空気感に「あれっ、なにかおかしいな?」と直感したそうです。

後日、問いただしてみると、母は社長との交際を認めました。

「え~、それいいじゃない。カッコいいじゃない。もしかしたら将来、社長夫人よね」

チエ子さんが心からの祝福を込めて言うと、母が意外なことを打ち明けました。

「チエ子、ありがとう。でも、じつはね……彼には、まだ離婚できていない奥さんと子どもがいるの─」

その交際の事実を母の姉に伝えたのは、チエ子さんだったそうです。最初は社長にお子さんがいることは伏せていました。

それでも、実家は当然のごとく、全会一致で「大反対、絶対に認めない」。母に賛成したのはただひとり、チエ子さんだけでした。

母が女学校のときに亡くなっている父親という人は交通局長を務めた人であり、母は横浜の名家の令嬢に当たる人。

そんな母が、いくら本人が真剣な交際だと言い張っても、許されない恋愛をしているのですから。

しかしながら、そこでひるむ母ではありませんでした。その後、奥さんとの離婚が正式に成立した社長と交際をつづけ、ついには私の姉を妊娠するのです。
< 31 / 215 >

この作品をシェア

pagetop