ありのまま、愛すること。

"そりゃねぇだろ!"

しかしながら、この活動のなかで、私は宗教に対してのひとつの客観的な事実にも気づかされることになります。

社会福祉活動のなかでの出来事です。

体が不自由なお子さんを持つお母さんにも、私は自分が学んでいるキリスト教の素晴らしさを必死に説いていたのですが、そこでこう言われたことを忘れられません。

「渡邉君は勉強する暇があっていいわね。確かに、あなたの言っている理屈はわかるわ。けれども、私たちはそんなに暇じゃないのよ。朝から晩まで、私はこの子の面倒をみなければいけないのだから……」

時期は、中学3年生の秋のこと。

このとき、私には選択肢がふたつあった。

ひとつは、高校に進学すること。

もうひとつは、高校も行かないで、そのまま宣教師の道を進み、一生を捧げること。

実際、その可能性も少なからず頭を占めていました。

でも、このときのそのお母さんの一言で、私には現実が見えてしまったような気がしてなりません。
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