ありのまま、愛すること。

見えざる手による大きな愛

ただし、仏教に関してはその後、勉強した時期があります。

実家は真言宗ですが、私は仏教にも拘りはなかったものの、そのなかで、京都の東寺にある大日如来様と四天王様に出会ったときには、自分のなかの神の対象として、スッと入ってくる感覚がありました。

いまも東寺には、数カ月に一度訪れるし、会社の自室には絵を飾っているほどです。

神様がそこにいて、自分自身をつねに戒める。私にとってのその象徴が、大日如来様だったのです。

クリスチャンとの決定的な違いは、キリスト教は全知全能の唯一無二の神の存在があること。仏教の場合、大日如来様はエネルギーの源で、そこを中心にして、すべての命がつながっているという考え方なのです。


いまでも私は、神様はいると思っています。

そして神様が、この世のルールをつくっているとも考えています。

私はよく、「運」の話を持ち出すのですが、運がいい人とは、神様のつくったルールに則って生きているのだと思う。

逆に運が悪い人は、そのルールを無視しているのです。

ではそのルールとは何であろうかと考えれば、たとえばそれは、人間同士の生活のなかにある、ごく常識的な考え方でしょう。
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