ありのまま、愛すること。

多くを背負う人

明治大学和泉キャンパスで始まった私の大学生活は、「明治大学横浜会」での活動に没頭した4年間でした。

明治大学横浜会とは、横浜出身の学生100名ほどのボランティア活動団体で、年に一度のマンドリンコンサート開催で得る収益金を、養護施設に寄付するなどの活動をしていました。

私はそこで、幹事長を務めました。

そのころの私は、いつも遊んでばかり。

だから、学生の間に一つくらいよいことをしよう、目の不自由な子どもたちに読書を提供しようと考えたのです。

それまでの寄付金は、年に110万円程度でした。

それを発展させて、もっと大きなことができないかと、私は考えたのです。

早稲田や中央、明治学院、専修の各大学にも横浜会はあったため、私は彼らに呼び掛け、さらに立教にも横浜会を結成してもらい、6つの大学の計400名ほどが集まる「横浜会」として統合しました。


それには、神奈川県中の子どもたちを1カ所に集めて、遊びの祭典をしたいという意図がありました。それまでは寄付金を渡すばかりで、直接子どもたちと触れ合う機会がなかったからです。

そして、1980年、横浜市の根岸森林公園で開催した「森林公園の集い」での、子どもたちの笑顔が、私の目に焼きつきました。

子どもたちと関わることは、こんなにも幸せなことなのか─。

このとき、説明のつかない喜びが、心のうちに降り積もりました。
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