空しか、見えない
 佐千子は、本当はもう長年泳いでもいない。そもそも泳ぐのは苦手だったのだし、水着姿にも自信がない。でも、誰より早くのぞむが「いいよ」、と答えた声が佐千子には愛おしかった。ニューヨークから戻ってこられるのかという問いには一度もきちんと答えなかったのに、彼ははじめて次の約束をしたのだ。
 やはり自分はまだのぞむが恋しいのだと佐千子は認めざるを得なかった。次の約束があるというだけで、急に心の中に温かな水が流れ込んできたように感じられた。

「どうでもいいけど、なんか窓開けない? 空気入れ換えよう」
 
 長身ののぞむがそう言って、窓を開けに立つ。まるで自分の部屋みたいに、窓に手をかける。
 白い壁にかけた、白い針の時計。ふたりの間に流れる時は止まっていたはずなのに、また音を立てて動き出した。
< 314 / 700 >

この作品をシェア

pagetop