テノヒラノネツ
彼から視線をはずし、自分のグラスに視線を戻すのが精一杯だった。

「元気か?」

彼の声だった。小学生の6年ごろから、彼の声は、こんなふうにかすれるような声になって千華に話しかけるようになった。
小さく頭を振って頷く。

「家を出たんだってな……小母さん、心配してたぞ」
「……お母さんに会ったの?」
「近所なら会うだろ?」
「うん……そうだった」
「……そうだった?」
「ゆう―――――……古賀君が、私の実家の近所って、なんかそういう感覚なくて」
「?」
「ほら、私、家を出たし、古賀君もめったに実家に戻らないじゃない? だから、近所だったんだなあって、改めて再確認した」

そう、幼馴染みだったんだなぁって……改めて再確認する……。

「千華は独りで大丈夫なのか?」

彼から「千華」と名前で呼ばれて、戸惑う。

彼の声で呼ばれる時は「進藤」と―――そう呼んばれていた。

千華自身が昔、彼に云ったのだ。
男の子達に冷やかされるから、自分も「祐樹君」とは呼ばないから、「千華ちゃん」と呼ばないでほしいと……。
昔、彼が自分を「千華ちゃん」と呼んでくれていた声とは、もう違う。
名前ごときでこんなにもこだわるなんて、ほんとうにどうかしてる。
千華は明るく答えた。

「うん……慣れたよ。というか、最高かもね。気ままな独り暮し、美夏ちゃんもときどき遊びに来るから……古賀君は大丈夫? あちこち移動してて」
「ああ、慣れた」

一瞬にして、また、距離を感じる。
独り暮し、家族からの自立は、なんとなく大人になったなと自分で思っていたのに、目の前にいる彼は、自分よりももっと大人だ。
それはもう前からわかっていたことだった比べるのは間違い。
彼は特別な人で、それと比べるのは間違い。
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