愛を教えて
そんな彼女の腕を、卓巳はいきなり掴む。


「ここまでついて来ながら?」


それはまるで万里子をあざ笑うかのような声。
万里子は慌ててその手を振り払い、卓巳を見上げて睨んだ。


「頭取が、若いあなたに敬称を付けておられました。ただの弁護士さんではないのだと思い、頭取の顔を立てようと思っただけです。そんなふうに言われるのは心外です!」

「それは失礼」


そのひと言で、卓巳から発する嘲りを帯びた気配は、一瞬で鳴りを潜める。


「ご案内するのは客室ではありません。最上階のレストランに個室を予約してあります。――どうぞ」


言いながら卓巳は指先でベルボーイに指示を出した。すると、支配人自らが飛んでくる。
ふたりはあっという間にエレベーターまで誘導された。
卓巳は万里子からノーという時間を奪ったのだ。

エレベーターの中に息苦しいほどの沈黙が広がる。
そして最上階に到着し、扉が開いた瞬間、なんと十人を超える従業員が整列し、一斉に「いらっしゃいませ」と頭を下げた。

そのレストランは万里子も利用したことがある。案内係や入り口付近に立つフロア係に言われるならともかく、シェフらしき男性まで勢ぞろいして迎えるなどありえない事態だ。


「あなたは……誰なんですか?」

「おかしなことを。先ほど名刺を渡したはずですが」


卓巳は整った顔に全く表情を浮かべず、万里子を振り返った。
あれは間違いなく渋江の声だった。この男性は決して怪しい人物ではないのだろう。
それでも、信用してついて来るべきではなかったのかもしれない。

万里子はそんなふうに、思い始めていた。


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