愛を教えて
卓巳はわずかに目を細め、万里子の怒りに満ちた視線を受け止めた。そのまま無言で立ち上がり、窓際まで歩み寄る。


「お話がそれだけなら、私はこれで失礼いたします」

「二ヶ月前、空木《うつぎ》グループ副社長との縁談を断っていますね」


帰ろうとして立ち上がった万里子の動きが止まる。


「それが何か?」

「副社長は三十五歳で再婚。あなたにとって条件は悪いが、千早物産にはすこぶる良い条件だったと聞いています」


縁談があったのは事実だ。
だが、条件がなんであれ万里子に受けるつもりなどない。それにあの縁談は『相手が悪い。万里子には早すぎる』と、父のほうが率先して断ってくれた。


「そういったお話があっただけです。父も反対しておりました。それが今回のお話とどんな関係が……」

「お父上の人柄をご存知でしょう? どれほどの窮地に立たされようと、娘を売るようなことはなさらないはずだ。違いますか?」


万里子の返事に卓巳の声が被さった。
その言葉に、ここに来て初めて、万里子の心が揺れる。


「百年に一度の不況と言われる昨今――優良企業と呼ばれる会社がどれほど倒産しているか、お嬢さんはわかっておられるのだろうか?」


万里子に芽生えた不安の火種を、卓巳は見事に煽り立てる。
そのまま出て行くことができなくなり、再びストンと椅子に腰を下ろしてしまう。


「今日のパーティ、渋江家で行われる頭取の還暦祝いですが。実はあなたと、あちらの息子さんとの見合いだと言うことはご存知ですか?」


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