受付レディは七変化。
私は地味なOL



朝の8時。日差しがうっすら入るさわやかな窓の向こうとは違い、
電車内にはある種異様な熱気がこもっている。
すしずめになった電車内は、他人の呼吸音が分かるんじゃないかってくらいの距離感だ。
まぁそれはそれ。言ってしまえば毎日のこと。
この空気には結構慣れたつもりだった。
が、まだまだ私の認識は甘かったらしい。

後ろから感じるおっさんの吐息。
明らかに触れられている感触のある自分の足。しかも太もも付近。
タイツ越しにわかる、ガサガサしたおっさんの指。
ちらりと後ろを見れば、
頭髪の薄い、いかにもメタボリックといった体形をした、50代くらいのおっさんがこっちをギラギラした目でみている。

・・・きもちわるっ・・・
私はぞっとしてその目線に捕らわれないうちに前を向く。

気持ち悪い、気持ち悪いが・・何もできない。
頭は何か解決策を探してフル回転しているが、気持ち悪さに胸焼けしてまったくいい方法は思いつかない。
しかし幸いなことに、電車は減速を始めている。
もう少ししたら駅だ。もう少しでダッシュで逃げられる。

くそ・・・いい年してこのおっさん・・・なんで私なんだ。

本日のワタクシの装いは厚めの眼鏡に、治りきらなかった寝癖をそのまま残したボサボサの髪を、何の飾りもない黒いヘアゴムで1本結びしている。
服装もまぁ地味なもんで、黒いチェスターコートの下は白いシャツとグレーのベスト。下は黒のタイトスカート、それに黒のタイツをはいて、白いスニーカーときたもんだ。
明らかに地味である。そんなことは私もわかってる。
でもだからこそ、痴漢になんてあったことなかったのに。

こんな地味女狙うなんて目が腐ってるんじゃないの!?

なんて、出てくる言葉は勢いのいいおっさん批判は、
直接の解決法にはつながらない。

だんだん脂汗が出てきて、つり革を持つ手が震えて滑る。
唇をかみしめてなきゃ気持ち悪くて立っていられない。

どうしよう。
触っている手はだんだんと口に出したこともないようなところへ近づいている。
私は思わずぎゅっと目をつむった。

やめて・・・っ




「おっさーん」
そんな、明るい声と共に手がビクッと離れる。
おそるおそる振り向けば、チャコールグレーのスーツを着た若い男性が痴漢男の肩を掴んでいる。
その姿はおっさんに対して正面、私には背中を向けていて、その顔は良くわからない。
「おっさん俺、オトコ。髪は割と長めだけどチカンされちゃ困っちゃうなー?」
そう言って、スーツの男性は後ろ手で明るめの襟足をいじる。
オッサンの顔は顔面蒼白だ。

一瞬電車内が静かになって、周囲の人間が一斉に距離をとる。
その隙間を利用して、スーツ男はぐいぐいと痴漢男をドアの方へ追いやり、私から引き離す。

え?なに?痴漢?
うわ、まじ?てかどっちも男じゃん・・・

ぼそぼそと聞こえてくる周囲の声に、
痴漢の男は禿げ頭を真っ赤にしてスーツ男に食って掛かる。

「ち、ちがっ私はゲイじゃないっ」
「へぇ、痴漢してたことを否定しないってことは、心当たりがあるってことだ?」
女の子になら痴漢するってことだよね、と高圧的にスーツ男は笑う。

的確な言葉に、一気に周りの視線がより一層冷たくなるのがわかった。


"え、マジで痴漢じゃん?"
"キモくね。誰か触られたんじゃない"
"駅員呼んだがいいんじゃないの?"
"撮ってネット上げとこーぜ"

ヒソヒソ声は、一度静寂になった車内では目立って聞こえる。
ソレが集団に慣ればなおさらだ。

話し声がだんだんと大きくなってきたところで、減速していた電車は完全に停車し、ドアが開いた。
真っ赤な頭をしたおっさんは、誰よりも一目散にドアへ駆けていった。

新しい人がまた波のように車内へ入ってきて、急にさっきの出来事が無かったことになる。
痴漢の話をしてた若い子たちも、もう最近流行りのスイーツの話をしだしていた。


私はこの一連の流れを、ただただ茫然と見ているしかなかった。
つり革をにぎっていた手はずるりと落ちて、反対側の手で押さえれば震えは完全に止まった。
視線を窓の外に移せば、おっさんがホームを駆けているのが見えて、やっと噛みしめていた唇をほどくことが出来た。小さく開いた唇から、安堵の息が漏れる。

すると隣に、先ほど助けてくれたチャコールグレーのスーツの男性が立っていた。

栗色で襟足が長めの髪に、銀縁メガネの男性は私と同じように小さなため息をつき、おっさんを見送っていた。

・・・お礼、言わなきゃ。

そう思って向き直るが、顔をまじまじと見てハッとする。

この人・・・ものすごいイケメンだ。

私は思わず目を見開き・・・眉間にしわを寄せる。

そもそも、チャコールグレーの仕立てがよさそうなスーツに、えんじ色の複雑な織目が入ったネクタイなんて、ちょっと年配の男性が着ないと嫌味っぽい組み合わせなのに、明らかに20代半ばから30代のその男性は完全に着こなして自分のものにしている。
そのきちんとした身なりとは対照的な明るい色の髪の毛に、どう考えてもビジネスマンとしてはマナー違反な長い髪型が、彼自身の整った顔に似合っていて、全然違和感を感じない。
銀縁メガネに隠れた瞳の色もちょっと明るめで・・・あ、ハーフなのかな。
それならあの栗色の髪の毛は地毛なのかも。

このイケメンが、助けてくれたわけ・・・?

女子ならば、「まるで王子様みたい・・!」とテンションがあがるところなのだろうが、
私の心中は一気に焦りだす。

お礼、お礼を言わなきゃいけない。
いや、でも、こんな地味な女が話しかけるなんて。
くそ、せめて髪の毛くらいちゃんと整えてくればよかった。
なんで今日こんなにボサボサなんだろ。
朝のアラームが鳴らなかったから?メイク道具が見つからなくて20分くらい探してたから?
きっとその両方だ。


そんなことを思っているうちに電車は目的の駅に着いてしまう。
ドアが開いた途端、襟足さんはその長い脚ですたすたと電車を降りていく。

同じ駅か!

チャンスとばかりにドアへと急ぎ彼を追いかける。
雑然としたホームで、私は一度しっかりと息をのむと、そのスーツの背中に声をかけた。

「あっ、あのっ」
「?」
振り向いた途端、朝の陽に反射する銀縁メガネ。
その眩しさと、真正面に見つめるその顔の端正さにたじろいで、
・・・なんだか恥ずかしくて、顔を見れず下へうつむく。

「さ、さっきはその、ありがとうございました!」

深くお辞儀をしたまま、なかなか顔を上げることが出来ない。
その端正な顔が自分を見つめていることがわかるからだ。


「ふーん」

・・・ふーん?
その声は、なんだか人を小馬鹿にした声だった。


「で?お礼何してくれんの?」

・・・お礼?

バッと勢いよく顔をあげると、さっきの紳士的な姿勢とはかけ離れた
にやにやしたその顔。面白がるように上から目線でこっちを見てる。

「おっ、お礼ですか・・・・」

自分からお礼を言いに来たが、お礼については何も考えて無くてバツが悪く、思わず黙り込んでしまう。

ざっくばらんな電車のホームの隅。
ニヤニヤしたイケメンと、お礼に悩む女の姿はさぞ面白く見えるだろうが、
この時の私はひたすら頭をフル回転していた。

お礼ってどうしよ、この場合は現金を包むのが正しいの・・・?

そんなことを考えていると、
急にイケメンの顔がぐっと近くに見える。
あれ、私のメガネはまた度が合わなくなったんだろうか。
なんどか瞬きをするが、その距離は変わらない。

「え・・?」
ちょっとでも動けば触れそうな体。
明るくて丸い、アーモンド形した瞳が、互いの眼鏡越しに触れる。
顔を傾ければ唇が彼の顔に当たりそうで、思わず体がピシリと固まる。

瞳は見開いて、彼の姿を見つめたまま。

そんな姿が面白いのか彼はクククと笑うと、急に顔を傾けた。
耳元に男性の、かすれた低い声が響く。

「・・・別に、こういう感じのお礼でもいいけど・・・?」

・・・こういう感じ?

傾いていた顔が正面に戻り、瞳がかち合う。
そしてゆっくりと、そのあたたかな吐息がこちらに近づいてくるのがわかった。
そこでハッとして、ドンッと男性の体を跳ねのけた。

「ちょっ、あの、なにしてるんですか!ここ、駅ですよ!?」
口からは甲高い声がでる。周囲の人間がこちらをチラチラ見ているが気にしない。
こちとら貞操の危機だったのだ。

「駅じゃなかったらいいの?」
男性は口元をゆるませながら、さらに近づいてくる。
「いいわけないでしょっ!」
もう一度、ぐっと力まかせに相手の胸を跳ね返す。
運動不足の私にとって、こんなに体力を使ったやり取りは久しぶり。たったこれだけでぜーぜーと息が上がる。
スーツ男は、またニヤニヤと余裕の笑みで笑っている。まるで私の次の出方を待っているみたいだ。
・・・なんだろう。勝てる気がしない。



・・・・・・。

「・・・そ、それじゃ、ありがとうございましたっ!!」

言ったが最後、一目散に改札へとダッシュ。
結局は、逃げるが勝ちってことだろう。
どうせもう二度と会わないし 縁もないだろう。
ここで失礼な態度取ったって、特に何の罰も当たらないはずだ。

ピッとカードを改札に充てて、後をちらりと振り返るが男性の姿は見えない。
ほっと安堵し、今度は遅刻を心配して先を急いだ。




***



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