高天原異聞 ~女神の言伝~

3 遠い誓い



――あの方が往ってしまう!! 日狭女《ひさめ》、追ってちょうだい!! あの方を引き留めて!!

 そう乞われて、従った。
 八雷神《やいくさがみ》を連れて、先に父神を追いかけた。
 だが、黄泉神である自分を以てしても、父神に追いつくことはできなかった。
 追い縋る自分の言霊も届かぬよう遠ざかっていく背中。
 おかしい。
 この言霊が、届かぬはずがない。
 何故父神は自分を見て、まるで汚らわしいものを見るかのような眼差しを向けるのだ。
 紛れもなく、女神の子である自分に。
 そして、黄泉国に在りて、自分達が追いつけぬなどあってよいはずがない。
 どのような手妻で、追いつけぬのか。
 闇の神威を使って、黄泉路を懸ける。
 だが、父神を追う半ばで、美しい桃の花が行く手を遮る。

 これは、邪気を祓う花。

 闇の神威を使う自分達は、この花の先には往けない。
 母神が追いつく。
 すでに死して黄泉神となった母神にも、この花を越えて追っては往けぬ。
 母神は涙を拭いもせず、泣き叫ぶ。
 父神の名を、喉も裂けんばかりに呼んでいる。

 それでも、振り返らない。

 やがて消え逝く姿。
 母神は悲鳴を上げてその場に頽れる。

「母上様!!」

 気を失った母神を抱きしめ、日狭女は座り込んでいた。
 背後から、濃い闇の気配がする。
 振り返ると、笑みを浮かべた闇の主の姿が映る。
 美しい容に、優しげな笑み。

「父上様に、何かしたのですか――」

 唇が、さらなる笑みを象る。
 それは、自分の問いを肯定していた。
 この方が、母神を手に入れるために何かしたのだ。
 そして、我々が父神に追いつけぬようにした。

「女神を部屋へ。これでもう、現世への未練は断ち切れるであろうよ」

 そして、そっと踵を返した。
 濃い闇の気配は消えて、後はただ、散る花が暗闇に浮かび上がるのみ。
 それでも。

――そうはなるまい。

 日狭女は思う。

 母上様は、父上様を忘れることなどできない。
 たとえ、父上様がそうなされても、母上様には無理だ。

 それが何故、闇の主にはわからぬのだろう。

 哀れな母神を抱きしめて、日狭女も泣いた。








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