あいなきあした

2章

そんな顛末で俺の店はめでたくも開店の運びとなった。修行したカリスマ店主との写真に姿見と花輪。業界でもトップクラスの知名度でありながら、フランチャイズ料も取らず、たかだか3日修行しても弟子として送り出すそのカリスマオヤジの男気もあって、同門の店とは最寄り駅が重ならないように出店するという不文律さえも必要なくらいのメジャーな一派である。
実はじいさんのラーメンを食ってから、あれだけ心酔していたこの味だけでは物足りなく感じる自分をおさえられないものの、まずはこのメジャーな味のコピー、よしんばその上を行くことに腐心する気持ちは折れてはいなかった。
いつもの「あの味」さえ提供出来ればそれで満足なのだが、ラーメンのマニアは面白いもので、新店が出来ると、系列店といえどその微妙な差異を求めて、オープンの一番湯を求めて行列を作る。初日が一番大切なのだ。
期待にそぐわないと口コミでたちまち評判が落ちてしまう。だからオープンから数日だけは、系列店からの応援が来て万全の体制。あとは、客と俺とのせめぎあいだ。


俺はラーメンがもちろん好きなことに違いはないのだが、好きでラーメン屋の店主になろうと思っていたわけではない。
俺もいわゆる「人並みの幸せ」にあこがれていた時期もあった。
詳しく話しても面白くも無い、どこにでもある話しなので言わないが、自慢でもなくかなり強い女難をもつ俺は、とても「つまらない」女を招き入れ、なし崩し的に同棲し、ある程度の「つまらない」年月を経て、決断を迫られ、「つまらない」女との間に、「可愛い」娘が出来た。
生来、男嫌いの家系の女がなぜ俺と関係を持ったかというと、俺も女も今や化石であり時代の産物でしかない、『渋谷系』の音楽を愛好していた事に他ならない。
(1980年代のニューウェーブやギターポップ・ネオアコースティック・ハウス・ヒップホップ、1960年代・1970年代のソウル・ミュージックやラウンジ・ミュージックといったジャンルを中心に、幅広いジャンルの音楽を素地として1980年代末頃に登場した都市型志向の音楽であるとされる。【wikipedia】)
お互いに共有出来ないその嗜好を共有できた興奮が色恋と錯覚したのだろう。ある日、仕事から帰るとドアの前に立っていた…。
俺にとって男が嫌いな女との生活は、惰性であり、退屈なものだったが、気が置けない同居人と考えれば、孤独よりはましだったのかもしれない。少なくとも、苦痛が鈍痛に変わっていたことは確かだった。
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