愛を待つ桜
夏海は聡に反論の時間を与えず、キッチンの奥にある洗面所に追い立てた。



聡は熱いシャワーを浴びながら、昨夜のことを思い出していた。


空白の3年間を埋めるように、何度も抱き合った。

数え切れぬほどのキスを交わし、聡は夏海の甘やかな肌に包まれ、朝まで1度も目を覚ますことなく眠った。
それはゆうに3年ぶりともいえる彼に訪れた熟睡であった。


(――もう手遅れだな)


自分は彼女の手管に堕ちてしまっている。

他の女には一切反応を示さない相棒が、夏海にだけはやる気満々なのだ。


3年前、事実上の離婚を申し入れ、逆に智香に訴えられた。
様々な事情から医者の診断書まで取らされたのだ。
性機能障害と言われ、診察でも微動だにせず、男としての自分は既に終わったと覚悟していた。
いや、正確には再び諦めた、と言うべきだろう。

その役立たずが、まさかこの歳でひと晩に3、いやキッチンを合わせると4回とは我ながら呆れ返る。

もう理由などどうでもいい。あれは最高のセックスだった。夏海も同様だろう。彼女とは離れられない、離れるべきでない。

そう思ったのだった。


ガタン……。

浴室のドアの向こうに夏海の姿が見えた。
あちこちで脱いだ聡の服を集めてきてくれたようだ。


「あんなところに脱ぎ捨てるから……上着もズボンもしわくちゃですよ。家に戻って着替えて来ないと、これじゃクライアントの前には……キャッ!」


濡れた手で腕を掴まれ、夏海は驚いたような声を上げる。


「一条先生! 何を考えて……」

「聡だ! 何度も言わせるな」


聡はそのまま軽く唇を重ねた。そして、夏海の耳の横で囁く。


「ちゃんと先のことを考えよう。悠のこともある。このままにする気はない」

「『このままにはしない。信じて欲しい』3年前に同じセリフを聞いたわ」


その声は冷ややかで、彼女は聡を押しのけた。

そして、悲しげな微笑みを浮かべ、


「昨夜は私も楽しみました。だから、お金の話はしないでください。それだけは……お願いします」


そう言って毅然とした表情を作る。


「私も身支度を整えますから。急いでください、一条先生」


それは、間違えようのない、ハッキリとした拒絶。


『あなたの言葉は2度と信じない』――そう言われたことに、いやでも気付かされた聡であった。


< 62 / 268 >

この作品をシェア

pagetop