ひとまわり、それ以上の恋
「――ここにいいた」

 やわらかな低い声に、私の全身が反応する。
 前を向くとその市ヶ谷さん本人がいて、心臓がドクンと弾けるような音を立てた。

 今まで浮ついていた皆が、急に慎ましくなり、お疲れさまですとそれぞれが声をかける中、市ヶ谷さんも返事をする。そして人の波で一番小さな私のところへやっていた。

「なんだか楽しそうだけど。君も一緒に?」

 さっき想像していた声が喋ってる……と思うと、なんだか後ろめたくて仕方ない。

「いえ。お約束を待つつもりで……お話だけ聞いてたんです」

「いいよ。君も参加しておいで。こういう交流は大事だしね。僕ももう少し打ち合わせに時間がかかりそうだから。また連絡する」

 市ヶ谷さんは颯爽とエレベーターに向かった。私は置いてきぼりになってしまって、沢木さんに促される。

「じゃあ、せっかくなんだし行こうよ」

 私は後ろ髪引かれる思いだったけれど、市ヶ谷さんがそう言うなら……。
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