女王様のため息


   *   *   *


この日だけは、私の人生で最初で最後の晴れ舞台。

ここまで多くの人の目にさらされる事は今後ないだろうし、ないと願う。

私が主役となって明るい光を浴び、全ての祝辞に頭を下げる最初で最後の日だ。

夕べ、思いのほかぐっすりと眠れたおかげで、肌の調子も良く、ここ一週間通っていたブライダルエステの効果も持続できている。

早朝、すっぴんでホテルに入った私は、係の人に挨拶を終えたあと、すぐさまメイク室に連れてこられた。

一目で気に入って選んだ白無垢や色打掛。

そしてウェディングドレスと色ドレスがきれいにかけてある。

鏡の前に並べてあるメイク道具は初めて見る色も多くて、一体どんな顔に仕上げられるんだろうかと後ずさってしまった。

「これに着替えて下さいね」

メイクの際に身にまとう浴衣を差し出され、受け取ると、担当のメイクさんが優しく微笑んでくれた。

打ち合わせの時からずっとお世話になっている彼女は、50歳を過ぎた朗らかな女性。

既にお孫さんもいるらしく、私の事を娘のように親身に考えてくれている。

「まずは白無垢からですからね。かなり塗りこみますけど、綺麗に仕上げてあげますよ。安心してくださいね」

にっこりと笑う笑顔を向けられて、私も頷いた。

「一生に一度のお祝いの日ですから、真珠さんが幸せな気持ちで一日を過ごせるように、お手伝いさせてください」

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」

彼女の温かい言葉が嬉しくて、じわじわと気持ちがほぐれていくのを感じる。

緊張していないようで、無意識の緊張を抱えていたのかな。

優しい笑顔と声が、すんなりと私の中に入ってきて、今日一日が楽しみになってきた。

「新郎様も、楽しみにしておいででしたよ」

「え?新郎って……まだ時間には早いんじゃないですか?」

司が着替えの為にホテルに入る時間は私よりも一時間あとのはず。

お互い、それぞれ実家から家族と一緒にホテルに入る事になっていて、今朝メールで軽くやり取りをしただけで、話してもいないけど。

「もう、ホテルに来てるんですか?」

驚いた私の声に、ふふっと笑って。メイク道具を確認している彼女はからかうように答えてくれた。

「あまりに結婚式を楽しみにし過ぎて、呼ばれている時間よりかなり早く来られてそわそわしてらっしゃいました」

「そわそわ……」

「はい。体中から嬉しいお気持ちが溢れていて、男前のお顔がさらに魅力的でしたよ。いいですね、あんなに素敵な旦那様」

「は、はあ……」

そうか、もう司は来てるんだ。

ここ数日、結婚式が楽しみ、というよりもようやく私を正々堂々と『嫁さん』と呼ぶ事ができると言っては、その嬉しさを隠す事なく過ごしていた。

会社を退職した私は、会社でもその調子らしい司をじかに見る事はなかったけれど、私との結婚を喜ぶ気持ちをあからさま過ぎるほどに見せているだろう司の様子を想像するのは容易かった。

一度、相模さんから結婚式の事で電話をもらった時にも

『司は既に新婚ぼけに突入してるぞ』

と言われて電話越しに頭を下げた。

仕事は手を抜かずにやっていると聞いてほっとしたのもつかの間。

『早くマリッジリングをはめて見せびらかしたいって騒いでる』

と付け加えられて、私は更に深く頭を下げた。

そんな司との結婚式は、あと二時間後に始まる。

今頃司は控室で落ち着きなく、楽しみにその時を待っているんだろう。

『人生最良の日』

夕べ、司は今日の日の事を電話でそう呟いていたな、と思わずくすりと声が漏れた。

ふと鏡に映る幸せそうな自分の顔を見ると、その顔は、司に負けないくらいに楽しみな気持ちに満ち溢れていた。

本当に、今日は人生最良の日だ。


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