気ままに生きる

2枚組のアルバムで2曲くらいはレコーディングしたかな

 2枚目のアルバム「スピード・グルー&シンキ」の時は2曲くらいはレコーディングしたんだよ。だけどその後、箱根アフロディーテ(1971年8月6・7日に海外からピンク・フロイド、1910フルーツガム・カンパニーらを招いた大型野外イベント、日本からは成毛滋&つのだひろ、ハプニングス・フォー+1、モップス、渡辺貞夫クインテッドらが出演)に行っちゃった。本当は違う場所で演奏するはずだったんだけどシカトしちゃったんだ。

 まあ、いろいろあったんだよね。アンパンにはまっていて違う世界にひとりでいっちゃっていたし、そのままの雰囲気でどっか外に出て行っちゃったりしたし。あの頃はお巡りさんに取り締まられることもなかったし、まあ、取り上げられるくらいのことはあったけどね。その後でだんだんうるさくなってきたけど(1972年8月に毒物及び劇物取締法が改正され使用、販売が規制された)。あまりよく覚えてないくらい。

 それからジョーイさんが、俺とジョーイさんの彼女ができちゃったんじゃないじゃって勘違いして揉めたんだ。それも原因のひとつ。

 ジョーイさんはロンドン・ジュリーっていう東京ではお嬢様で有名だった人と付き合っていたの。俺は俺でロンドン・ジュリーのことは前から知っていてアッコ(魚屋さんの息子でマネージャーっぽく楽器を運んでくれたりした、でも魚屋のトラックでだけど…。そいつとはよく一緒にいた)と遊びに行って泊まりに行ったりしていたんだ。

 急にジョーイさんと付き合い始めたって俺も知らなかったからさ、トイレでロンドン・ジュリーとふたりで昔の感じで一緒にボンドをやってたんだ。そうしたらジョーイさんがトイレ来て、ドアをパッと開けたら俺らがいたからヤキモチ妬いたんだね。それで、俺とジョーイさんがケンカになったんだ。相当ヤキモチ妬いていたよ。それで怖くなってやめちゃった。
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