気ままに生きる

人生で一番鬱になった時期だったよ

 1973年に入って、京都・河原町のサパー・クラブのママリンゴで仕事があると言われて、向こうへ仕事で行ったよ。バンドの名前はお店の名前をとってママリンゴ。

 そのうち横浜酔いどれバンドとか柳譲二と不確定原理なんて変わって、最後はデイブ平尾とゴールデン・カップスになっていたみたいだね。

 最初はトキさんと俺と譲ちゃん、それに信輝とイサ(イサム神吉<かんき>…パーカッション、ドラムを担当、横浜で長年活躍したミュージシャン、後年イサム神吉のソロアルバム「ALTO PARAISO」で加部正義と共演)の5人でやるはずだったんだ。だけど初ライブの前日に「明日からいよいよ、やるよ」って話しになったら信輝が「嫌だ、熱が下がんない」って言うんだ。それで演奏する日の朝起きたら、信輝はいなくなってたんだ。結局、みんなが寝ている間に帰っちゃってたんだけど、結核だったらしいよ。その後、どこかの療養所に結構長い間入っていたみたい。しょうがないから、その時は信輝なしで俺と譲ちゃんでやったよ。

 その頃やっていた曲はストーンズの「アンジー」とかドゥービー・ブラザーズの「ロング・トレイン・ランニン」とかその場限りのやつをやってた。
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