抹茶な風に誘われて。~番外編集~
新婚編

Ep.1 抹茶プリンと夏の風

 涼やかな風が、頬を撫でた。

 まだまだ残暑厳しい九月の午後、都会には珍しくなってきた昔ながらの平屋。とはいっても寝室代わりの奥の間や、仕事部屋の六畳間にはエアコンが付いている。けれど、背中に伝わる堅い感触は、そのどちらにも自分がいないことを示していて。

 ――ああ、うたた寝しちゃったんだ、私。

 そう気づいてから、ほのかな抹茶の香りに自然と頬が緩む。茶室として使用している部屋から続いている、縁側。静かな庭を臨めるそこは私のお気に入りで、ついつい腰掛けては休憩したりしてしまう。そのまま、いつしか眠ってしまっていたらしい。

 そろそろ夕食の支度をしなければ、と起きようと思うのに、まどろみから抜け出せなくて。大好きな香りに包まれて、寝返りを打った。そうするうちにまた、ひんやりとした風が頬に触れて――ようやく私は覚醒した。

「……ひゃあっ」

 変な声が出てしまったのは、心地良い風――どうやら、かすかに白檀の香りが染み付いた扇子で起こされていたものらしい――が違う感触に変わったからだった。やわらかく、しっとりと押し付けられたもの。それはこの世でただ一人、私にこんな風に触れる人の、優しい優しい唇に違いなかった。

「せ、せ、静(せい)さんっ!?」

 飛び起きた私に名前を呼ばれて、長身の人影はかがめていた背を伸ばし、隣に腰を下ろした。額に斜めに落ちる黒髪を無造作にかきあげて、いかにも、というように頷く。

 浅黒い肌に深いグレーの瞳、というエキゾチックな風貌に一見不釣合いな渋い緑の着物姿は、艶のある眼差しや余裕に満ちた態度も相まって、彼特有の魅力を最大限に引き立てるものとなっていた。

 世の女性なら誰もが見惚れること間違いなしの大人な美形である彼こそが――、

「確かに、俺が一条 静だが。なぜそんなに驚く? 自分の家に帰ってきて、縁側で無防備に眠っている可愛らしい妻に挨拶しただけのつもりだったんだが……何か問題でも?」

「い、いいえ、そんな……」

「ああ、そうか。人違いだったかな。妻なら夫からのキスくらいでそれほど真っ赤になって動揺するわけはないし……しかしそれなら、随分といけない侵入者だ。見知らぬ男にキスされて、こんなに瞳を潤ませたりして。誘っていると思われても仕方がないぞ?」

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、少し捲れ上がっていた私のワンピースの裾を見やる。あわてて直して、言い返そうとするのに、目の前に顔を寄せられて、言葉が出なくなってしまった。
< 63 / 71 >

この作品をシェア

pagetop