日付が変わる前がいい。

 1日の疲れを洗い流して、ゆったりとした心地でベッドの柔らかさに身を委ねる。
 けれどまぶたは下ろさず読みかけの小説をぱらりぱらりと流し読みしながら、視界の端に映る時計を気にかける。
 と、ケータイのサブディスプレイがライム色の光を発し、
「もしもし?」
 相手の名前を画面で確認するなんていう“野暮”なことはしない。
 そんなものは、
『ハロー』
 この“声”が耳の奥をくすぐれば、すぐにわかってしまうのだから。
「ハローって。もうすぐ日付が変わる時間よ?」
『僕らの時間の“始まり”だ。ちょうどいいだろう?』
 そんなキザなセリフも“電話越し”という魔法にかかるとたちまちなにやらとても甘い、蜂蜜のような“とろみ”を帯びる。
 ただ単に声が好きなんじゃない。
 あくまでもこの“電話越しの声”がいい。
 面と向かい合って話をするときの声というのはどうしたって雑音が気になるし、そのせいで魅力が半減してしまう。
 じゃぁふたりきりで、部屋にいるときは?
 それも、だめ。
 音楽のひとつもなしにふたりっきりで寄り添って話をしてたんじゃ、いつの間にか彼の唇が直接わたしに触れて会話などなくなってしまう。
 だからこそ、電話越しの声なのだ。
「あのね。今日会社でね──」
 電話というのは、いい。
『へぇ。あの課長がそんなこと──』
 相手の声だけに集中できる。
「そうなの。しかも──」
 加えてこの時間というのは雑音も少なく、それでいて落ち着き過ぎていない空気がある。
 起床時間を気にするほどの時間でもないしね。
 何よりも、
『あぁ、そうだな……』
 普段よりひとつ、トーンを落とした声を聞ける機会というのはなかなかない。
 ケータイから滑り落ちた彼の唇が、わたしの首筋を這うような、そんな感覚。
 それから、
『くっくっくっ……』
 近所迷惑にならないよう押し殺して笑う声もまた、妙に愛らしい。
 まだ少し湿った髪からはドライヤーの熱がとうに逃げてしまったけれど。
 わたしの身体は、とてもとても温かい。
 会えない日が続いたときなど、温かいを通り越して“熱く”もなる。
 それが“電話越しの声の魔法”。
 と、
『お、もうこんな時間か』
「あ、もうそんな時間?」
 時計の針がぐるりと回ってゴールテープを切ったらしい。
 始まりの時間を決めているのだから、終わりの時間も決めている。
 こういうのはだらだらと長ったらしく味わうものじゃない。
「もうひとくち、ちょうだい」
 そういいたくなるところで切り上げるのがいい。
 恋とは──物足りないくらいが、丁度いいのだ。
『じゃ、またこの時間に』
「うん。待ってる」
『…………』
「…………」
 ほんの少し、時間を浪費する。
 それは、
『おやすみ』
「おやすみなさい」


──甘い彼の唇を想像する、貴重な沈黙。

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密フェチ    電話  純愛 

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