七夕の出逢い

小さなプレゼント Side 涼

 四月一日、それは自分たちの結婚記念日。
 この日だけは夫婦水入らずで過ごせるように、とお義母さんが子どもたちの面倒を買って出てくれる。
 そんなわけで午前中に子どもたちを彼女の実家に預けると、久しぶりに真白さんとふたりでドライブへ出かけた。
 相変わらず、警護につく車が数台ついてくるものの、車から降りたあとはある程度の距離を保ち、必要最低限のプライバシーは守ってくれる。それもこれも、未だに真白さんが人の多いところに出かけないからなせることなのだろう。
 遅咲きの桜がまだ咲いている公園を歩きながら、結婚してからの十五年間を振り返っていた。
「早いものですね」
「はい。もう湊は中等部三年生ですし、楓は初等部五年生。司は二歳ですものね」
 結婚したその年に長女が生まれたため、ふたりきりで過ごせた時間は少ない。
 そんなこともあってか、お義母さんは記念日になるとふたりきりで過ごす時間を作ってくれていた。
「十五年とはあっという間でしたね」
「そうですね。でも、子どもの成長を見ながらの十五年は、とても充実していたように思います」
 彼女は風に髪をなびかせながら、嬉しそうに笑う。
「結婚記念日を家族で過ごすのもいいと思うのですが……涼さんはどう思われますか?」
「そうですね……。大切な記念日を家族で過ごすのは悪くはない。けれど、やはりふたりの時間というのは貴重ですから、私はお義母さんに感謝しています」
「ですが……子どもたちはやがて大きくなったら家を出てしまうでしょう?」
 少し寂しそうな表情の彼女は歩くのをやめ、頭上に咲き誇る八重桜を見上げた。
「湊が成人するまであと五年。楓が成人するまでにはあと九年。司は……」
 そこまで口にすると、彼女はふふ、と笑った。
「楓と司はまだ当分家にいてくれそうですね」
「えぇ……。湊は高等部を出たら医大に進みますから支倉でひとり暮らしを始めるでしょう」
「今から覚悟なさっているのですか?」
「……そうですね。女の子ですから心配は心配ですが、栞ちゃんも一緒でしょうから、ルームシェアをしたらどうかと勧めるつもりです」
「涼さんったら、少し先を考えすぎです」
 彼女はクスクスと笑った。
 その後、彼女が好きなレストランでランチコースを堪能して帰宅した。

 子どもたちは夕方にお義母さんが送ってきてくれることになっており、まだ三時間ほどの余裕がある。
 帰宅すると、真白さんがダイニングテーブルの上に置いてあったメモ用紙を手に、首を傾げている。
「どうかなさいましたか?」
「湊たちからの置き手紙なのですが……」
「置き手紙、ですか……?」
 三人とも、自分たちが出かける際に実家に連れて行った。家を出るときには置き手紙などなかったはず。……ということは、一度帰ってきたのだろうか。
「なんと書いてあるのですか?」
「ケーキが冷蔵庫に入っているそうです」
「……ケーキ、ですか?」
「はい。ふたりで食べるように、と……。それから、テレビに録画されているものを見るようにとの指示も書かれていて……」
 ふたり顔を見合わせてしまう。いったいなんのことだろうか、と。
 ひとまず、冷蔵庫に入っているというケーキを取りにキッチンへ行くと、冷蔵庫には透明なプラスチックの容器に、黒い蓋、さらには金色のリボンがかけられたものが入っていた。
「どうやらこれのようですね」
 ふたり揃って蓋を開ける。と、直径六センチ、高さ六センチほどの円柱、こっくりと黒光りするケーキが入っていた。
「コーヒーでしょうか? チョコレートでしょうか?」
 見ただけではどちらとはわからず真白さんが鼻を近づけると、
「……チョコレートです」
 と、若干申し訳なさそうに告げた。
「……私にチョコレートケーキを食べろ、と子どもたちは言ってるわけですね」
 自分は甘いものが苦手なため、この手の食べ物は一切食べない。が、真白さんはチョコレートが好きである。
 うちにおいては真白さんが最優先されるため、チョコレートケーキのチョイスになったことは理解できても、それを一緒に食べろという要求は呑めそうにない。
「これは真白さんが食べてください」
 食器棚からプレートを取り出し、ケーキを乗せる。
 ついでに、昨夜から今朝にかけて作っていた水出しコーヒーを添えた。

 次なるミッションは録画されたテレビなわけだが……。
 ふたりでリビングへ向かいテレビをつけ、指定された録画を見る。と――
 ひとつのケーキを前に、
『ねぇ、美味しい?』
『すっごく美味しい!』
 男が女に訊き、女は嬉しそうに答える。
 画面に映りこむケーキこそが、今自分たちの前に置かれているものと同じものだった。
『食べたい? 食べさせてあげようか?』
「あーん」と女がスプーンを男の口もとに近づけると、男はそれを口にし、食べ終わるとぺろりと唇を舐めた。その様がなんとも艶めかしい。
『ん、美味しい。でも――ねぇ、ケーキとぼくのキス、どっちが好き?』
 男が甘く囁くシーンで、「初恋ショコラ・新発売」というテロップが流れた。
 録画は以上だった。
「……あの、これはいったい……?」
 ほんのりと頬を染めた真白さんが答えを求めて自分を見る。
 なんとなくわからなくはない。非常に遠まわしではあるが、これと同じことをしろという意味なのだろう。
「……やはり、ケーキは真白さんが食べてください」
「でも、子どもたちがせっかく私たちのために用意してくれたものですし、涼さんも一口くらいはお食べたになられてはいかがですか?」
「…………」
「私が味見してみます。とても甘いようでしたら無理にとはお勧めはしませんから」
 言って彼女はスプーンで小さくケーキを掬った。
 そんな彼女の隣で自分はパッケージに記載されているカロリー表示や原材料の一覧を見ていたわけだが、普通のケーキと比べるとカロリーは控え目なようだ。
 一口食べて沈黙してしまった彼女が心配になり声をかけると、
「あの……すごくおいしいです。これ、どちらのケーキなのでしょう?」
 真面目な顔で訊かれた。
「パッケージを見たところ、コンビニで売られているもののようですが?」
「コンビニ――……コンビニエンスストアですか?」
「はい」
「私、行ったことがないのですけど、こんなにおいしいケーキも売っているのですね」
 どこか的外れな感動の仕方をしている気がしなくもない。が、そこは気にしても仕方がないので、どのようにおいしいのかをたずねてみた。
「真白さんが普段食べられるアンダンテのケーキやウィステリアホテルのケーキだって十分においしいでしょう? それとどう違うのですか?」
「なんて言うんでしょう……? スポンジはしっとりとしていて、口の中に入れるとホロリと崩れるんです。あと、チョコレートクリームが濃厚で、ただ甘いだけではなくて……」
 濃厚なのに甘いだけではないとはいったいどのようなものか……。
 ほんの少し好奇心をかきたてられ、目の前にブラックのアイスコーヒーがあることを確認してから、
「では、一口だけいただくことにします」
 言うと、真白さんはスプーンに半分ほど取り自分の口もとに近づけてきた。
 台詞こそないものの、さっきのCMと同じシチュエーションである。
 抵抗があるというよりは照れが生じる。
 すると、クスクスと笑い声が聞こえてきた。ほかでもない真白さんの笑い声。
「少しだけ……CMの真似をしてみました。抵抗があるようでしたらやめます」
 あまりにもかわいらしく笑うものだから、恥ずかしさを我慢しそのままの状態で食べさせてもらう。と、口の中にチョコレートの香りが広がる。
 甘いことは甘いのだが、香り自体が甘ったるいものではなく、クリームにもカカオ独特の苦味を残す。
「間にブラックコーヒーを挟めばなんとか食べられそうです」
「良かったです! それでは、半分ずつ食べましょう?」
 彼女の笑顔につられ、自分ひとりだったらまずは食べないケーキを食べた。
 食べ終わると、彼女はとても幸せそうな顔をしていた。どうやらひとつのものを分け合って食べることが、ひどく新鮮だったらしい。
「真白さん」
「はい?」
「どうせなら、最後のアレもやりますか?」
 彼女は一瞬、「え?」といった反応を見せ、
「CMの最後の」
 と、補足をすると顔を真っ赤に染めた。
 彼女の唇を塞ぎ、舌を絡める。と、自分が飲んだばかりのコーヒーと、彼女の口に残るチョコレートの甘さが程よくブレンドされ、いつもとは違うキスの味になった。
「私のキスとケーキ、どちらがお好みですか?」
 訊くと、彼女は恥ずかしそうに顔を染めたまま、自分の胸に額を押し当てた。
 それはつまり――私のキス、ということでよろしいのでしょうか。
 子どもができてからというものの、ここまで甘やかな時間を過ごすことはそうそうなかった。
 そう思えば、チョコレートケーキを自分に食べさせようとした子どもたちのいたずらもかわいく思える。
 そんなげんきんな自分に、ふと笑みが漏れた。
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